昔は農作物の広告や宣伝は存在しなかった

今日広く親しまれている果物の一つであるオレンジも、アメリカでは地域や階級を超えて多くの消費者に日常食として消費量が拡大していった。オレンジも長距離輸送が難しく、生産拠点となっているフロリダ州やカリフォルニア州から遠い地域では高価な果物であった。例えばクリスマスプレゼントとしてオレンジを子供たちに渡す習慣があるなど、特別な日に食べるものだったのだ。

だが1910年代までに国内の大陸横断鉄道が整備され、次第にオレンジの消費が広まっていった。オレンジの宣伝も積極的に行われ、カリフォルニア州最大の柑橘類協同組合であるカリフォルニア青果協同組合(California Fruit Growers Exchange、以下CFGE)は、同州を拠点に置く鉄道会社、サザン・パシフィック鉄道の資金援助を得て大規模な広告キャンペーンに乗り出した。

当時は、家政学や栄養学が(特に女性が学ぶ学問として)大学で広く教えられるようになり、「ビタミン」という言葉が一般的に使われるようにもなっていた。このため、オレンジの栄養価を宣伝文句に取り入れるなどして販売促進が図られた。「ビタミン」という語をアメリカで初めて広告に取り入れたのがCFGEだといわれている。

サンキストオレンジソーダ
※写真はイメージです(写真=iStock.com/jfmdesign)

それまで農業生産者や広告代理店の間では、果物など農産物は広告をうって宣伝をする価値はないという考え方が一般的であった。オレンジは「ただのオレンジ」であり、果物や野菜は特別な宣伝文句をつけて売り出したり、それによって消費を促進できたりするものとは考えられていなかったのだ。まして、ブランド名やトレードマークをつけることなど考えられもしなかった。

だが、1908年、CFGEの宣伝を担当していた広告代理店が、オレンジにブランド名をつけて売ることを思いつき、当協同組合を通して販売されるオレンジを「サンキスト」(英語ではSunkistで「kissed by the sun(太陽にキスされる)」をもじったもの)というブランド名で売り出した。この後、バナナの「チキータ」など農産物にブランド名をつけることが一般化していくことになる。

特定の生産地域や生産者(協同組合)と結びつけることで、そのブランド名がついた商品が常に高品質であることを、全国市場において、特に顔の見えない不特定多数の消費者に訴えることを企図したのである。