バターの色の標準化に動く酪農業界

マーガリンの誕生によって、バター生産者らは、より一層、色の重要性を強調するようになった。これまでは季節にかかわらず同じ色のバターを提供することが目的だったが、マーガリンが脅威となったことで、マーガリンと差異化を図るという新たな目的が加わったのである。バターのように見えるマーガリンと区別をするため、バターを「よりバターらしい」色にするという状況が生まれたのだ。

1900年代初頭、酪農業者らによる全米組織「全国酪農組合」の幹部委員は、組合のメンバーに向けて通知を出し、「酪農業界の救済」のためには、マーガリンと「区別できるよう、バターの標準色を維持し続けなければいけない」と語った。そして、バターの標準となる色は、マーガリンメーカーが真似できないほどの明るい黄色にすべきであり、これによって偽物を排除できると述べた。

しかし、色を含めバターの標準化は容易ではなかった。アメリカでは1910年頃まで、酪農業、特にバター生産は小規模農家が乳業やその他の農業生産の傍らに行う副業的な傾向が強く、その流通も地域ごとに行われていた。1860年代にはクリーマリーと呼ばれるバターやチーズの製造所が各地に作られ、農家が生産した牛乳を収集しまとめてバターやチーズを生産・出荷するようになった。だが、1910年代末までは、こうした製造所は小規模で、依然として農家ごとにバター生産は行われていた。

このため、バターの質は個々の農家のスキルや知識、保有している生産機械等に左右され、全国で画一的なバターが販売される今日の状況とは大きく異なっていた。バターの色についても標準化からはほど遠く、酪農産業向けの業界紙や農業新聞は、バターの色に常に注意を配るよう農家らに訴えた。

ある記事は、多くの農家がバターに使用する着色料の量をきちんと計らず、目分量で入れている状況を指摘し、こうした「軽率さ」ではバターを同じ品質で作ることはできないと批判した。酪農組合や地元の政府機関は、酪農技術や知識を広めるため、バターの基本的な作り方をはじめ、常に同じ色のバターを作るための指導を度々行ってもいた。

餌によって色を変えたバターは「自然」といえるのか

ただ、バター生産者全てが着色に賛成していたわけではない。酪農産業界の中では少数派ではあったものの、特に着色料を使用することには、消費者を騙すことにつながるという声があった。だが、着色料使用反対派の間でも、ある程度画一化された黄色いバターを生産することは必要だという見方が強かった。

一部の新聞は、着色料を使うのではなく、例えば牛の餌にニンジンなど黄色(またはオレンジ色)の色素を含む植物を混ぜて食べさせることで、牛乳およびバターに黄色っぽい色味をつけることを推奨した。着色料は「人工的」な色の操作だが、餌の材料を調整することはあくまで「自然な」生産方法だと考えたのである。

だが、バターの色素が餌の一部に由来するものであったとしても、故意(人工的)にバターの色を作り出していることに変わりはなく、「自然」と「人工」の線引きの難しさ、その境界のファジーさを示唆しているといえよう。