そうした中で起きたのが「貸し渋り」です。

なぜ「貸し渋り」が起きたのかと言えば、銀行が融資をする場合には、貸し倒れのリスクを考慮して、引当金を用意することが義務付けられているからです。貸し倒れ引当金は、元本割れの可能性のあるリスクアセットですから、自己資本比率の分母になります。つまり、融資をすればするほど、銀行の自己資本比率は下がってしまうことになります。

そのため、銀行はできるだけ融資を絞った上で、さらに、できるだけリスクの少ないところに融資を行ったのです。リスクの高いところには融資を渋ったり、それまで融資を行ってきた企業にも融資をやめることとなりました。

リスクが高い事業には、将来的に高い収益性が見込めるようなビジネスも多いのに、そのようなビジネスに資金がまわらなくなってしまったのです。

「もっとたくさん働け」では成長は不可能

日本の成長会計を見てみると、労働の投入量の貢献も、地味ながら、確実に低下してきていることが分かります。前述のように、労働に投入される時間が減ってきているのです。

実際に、1948年から徐々に国民の祝日も増えています。以前はもっと休日は少なかったのです。しかも、今は週休2日が普及していますが、以前は土曜日も勤務日としている企業も少なくありませんでした。現在でもブラック企業問題は深刻ですが、平均的に見ると労働時間は減っています。

では、成長のためには、私たちがもっとたくさん働けば良いのでしょうか。しかし、今の時代「もっとたくさん働け」とはいうのは難しいでしょう。すぐに、「こんなに長時間労働しているぞ」という声が聞こえてきそうです。ワーク・ハードからワーク・スマートに転換しようという時代の流れとも逆行します。

オフィスで疲れ気味の女性
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わたしたちは経済成長のために生活しているわけではありません。生活の質こそが大切です。考えるべきは、働いている時間をどうしたらもっと充実したものにできるのか、働く時間をもっと少なくして、同じだけ(あるいはそれ以上)の成果を得るにはどうしたら良いのかです。

いまさら「勤勉革命」は起こせない

今さら「勤勉革命」は起こせません。勤勉革命とは、経済学者の速水融さんが名付けたもので、江戸時代に、農村部でそれまで家畜が行っていた労働を人間が代替し、よりたくさん働くことで、生産性を上げたことを指しています。現在の文脈で置き換えて考えると、機械がやっている仕事を人間が代わりにやるようなもので、当時の人件費が資本財としての家畜を使うよりも安かったからこそ機能した仕組みです。