高度経済成長はなぜ実現したか
なぜ日本の成長は停滞してしまったのでしょうか。その「犯人」を捜すために、まずは成長会計を見てみましょう。
成長会計とは、経済成長の原因を、労働の投入量、資本の投入量、そして全要素生産性(Total Factor Productivity、以下TFP)の3つに分けて考えるものです。ノーベル経済学賞を受賞したマサチューセッツ工科大学のロバート・ソローの成長モデルが基礎となっています。TFPは、経済の成長のうち、労働や資本の成長では説明できない残渣部分であり、一般的にはイノベーションの代理指標と考えられています。
ここでは、オランダのフローニンゲン大学がスタートさせたトータル・エコノミー・データベースと呼ばれるデータベースを使って見ていきます。このデータベースでは、経済成長(GDPの成長)に貢献した要因を労働の投入、資本の投入、そしてTFPの3つに分けた上で、さらに労働を量と質で分けています。労働の量は、働いた人数と時間です。質は働く人の教育水準です。
図表2は、およそ60年の日本の成長とその要因の推移を示したものです。労働(量と質)、資本、そしてTFPの3つの要因をそれぞれ足していくとGDPの成長になります。棒グラフが高く積み上がれば、それだけ成長しているということになります。
日本の高度経済成長期には、TFPの貢献が大きかったことがよく分かります。イノベーションに支えられた成長だったのです。また、投下された資本の貢献も見逃せません。設備投資が積極的であり、まさに投資がさらなる投資を呼ぶ成長だったのです。労働の投入量もTFPや資本ほどではありませんが貢献しています。高度経済成長期には3つの要因がすべてそろい踏みだったのです。
オイルショックで消えたイノベーション
ところが、オイルショックを経ると少し様相が変わってきます。TFPの貢献がマイナスになってしまうのです。つまり、日本において成長に対するイノベーションの貢献が消えてきたのは、「失われた20年」よりもずっと早く、オイルショック以降からだったのです。
これは、その他の研究結果ともおおよそ一致しています。例えば、東京大学の林文夫さんとミネソタ大学のエドワード・プレスコットは、1960年からのおよそ40年の日本経済の成長会計を分析し、同じような結論を得ています。