糸井重里さんが社長を務める「ほぼ日」は、今年6月から有料動画サービス「ほぼ日の學校」を始めた。コンテンツはすべてオリジナル。尾畠春夫さん、谷川俊太郎さん、笑福亭鶴瓶さんなど講師陣には多彩な顔ぶれが揃う。なぜ「学校」を始めたのか。糸井重里さんに聞いた――。(後編/全2回)
ほぼ日社長の糸井重里さん
撮影=西田香織
ほぼ日社長の糸井重里さん

なぜ人は「食べる実のなる木」を植えようとするのか

前編から続く)

——いまYouTubeには「学び」をうたった動画がたくさんあります。「ほぼ日の學校」は、それらと何が違うのでしょうか。

【糸井】小さい庭があったとき、人って食べる実のなる木を植えるのが好きじゃないですか。イチジクを植えたとか、小梅がなったから漬けたんだとか、楽しくて栄養になることは苦じゃないんですよ。学ぶって、そういう果実のような気がします。

一方、「農園の手伝いができますよ」と言われても、あんまりやる気にならないと思います。いまよくある「会員の人はこういうお話が聞けますよ」って、農園の手伝いに見える。それよりは、自分のところで勝手に梅の木を植えたほうが、梅のホントのことがわかるんじゃないかな、と。

僕らがやりたいのは、もっと普通の人が学ぶこと

あちこちで学校的なライブが展開されるのは、悪いことじゃないと思っています。ただ、人がやっているのを見ていると、何よりも本人が飽きるだろうな、とも感じます。みんなが集まってくれて、「今日もお話を聞いてくれてありがとう」というのは、1年も続けたらくたびれてくるんですよ。大学は違うところに目的があるからそういうことはないけど、「これ、良かったね」と言われることをやっている人たちは、オンリーの動機がなくなっていくんじゃないでしょうか。

僕らは、どこまでも続いていけるようにしたい。だからお客さんがこういう話が聞きたい、こういう人に会いたいというものに応えるものと、「これ、知ってる?」と言って伝えたくなるものとが混ざっていてもいい。「学校」という名前を付けているけど、僕らなりの無手勝流でやっていったほうが、自分たちのやりたいことに近づく気がしています。

——昨今の「学ぶ」は、お金を稼げるとか、出世できるといった方向に偏りがちな印象があります。

【糸井】そうしないとお客がつかないと思うからでしょう。僕らもBtoBで、「こうすれば社員研修になりますよ」という形にすれば、たくさん契約を取れるんじゃないかと捕らぬたぬきの皮算用をしたことはあります。でも、そこに足を取られると、「研修は嫌だけど行くもの」だった時代と同じになってしまう。そうすると、学ぶということが、野心的な能力主義の人に向けたものになってしまいます。僕らがやりたいのは、もっと普通の人が学ぶことですから。