日中戦争が泥沼化したのは偶然ではない
日中戦争がエスカレーションし始めたことは偶然の産物ではない。
日中戦争がその典型的な事例であるように、国家の安危に関わる和戦の決定をめぐり、権謀術数に長けた指導者が操作するナショナリズムは戦争の重大な原因とされている。
このことはジョン・J・ミアシャイマー(John J. Mearsheimer)、スティーヴン・ヴァン・エヴェラ(Stephen Van Evera)、ジャック・スナイダー(Jack Snyder)、バリー・R・ポーゼン(Barry R. Posen)、ジェフリー・W・タリアフェロ(Jeffrey W. Taliaferro)をはじめとする有力なリアリストらに指摘されてきた。
とりわけ、ナショナリズムと戦争の問題をめぐり、これまでリアリストは一つの普遍的な現象に言及してきた。それは、指導者がしばしば国民のナショナリズムを喚起して、拡張的政策への支持を調達しようとするというものである。
理論的に言えば、この時に用いられるのがナショナリスト的神話づくり(nationalist mythmaking)という、自己賛美(self-glorifying)・自己欺瞞(self-whitewashing)・他者悪意(other-maligning)からなる、排外主義的なレトリック(政治的プロパガンダ、メディア操作など)である。
近衛内閣のナショナリスト的神話づくりという意図的な政治的説得・動員戦略の結果、一時は軍交渉により停戦も見込まれた日中戦争は、再び熱を帯びてエスカレーションしていった。政府のナショナリスト的神話づくりは成功して、国民は近衛内閣に日中戦争拡大という拡張的政策の支持を与えたのである。
愛国主義的な報道で国民は加熱
7月28日、日本軍が北平・天津で攻撃を開始すると、新聞は「皇軍・破竹の猛進撃」との号外を発した。近衛らの狙い通り、政府の拡張的政策を支持するような愛国主義的報道は過熱し、「検閲を経た報道によって、国民の戦意は急速に高まっていった」。
8月15日、日中間の衝突が不可避となると近衛内閣は、「帝国としてもはや隠忍その限度に達し、支那軍の暴虐を膺懲し、もって南京政府の反省を促すため、今や断固たる措置をとるのやむなきにいたれり」と、「暴支膺懲」声明を発表する。
ここでは日本の戦争目的が「日満支三国間の提携融和」にあることが明らかにされた。こうした自己賛美や他者悪意を特徴とするナショナリスト的神話づくりが続き、8月17日、ついに不拡大方針放棄の正式決定に至る。
9月11日、近衛は日比谷公会堂で行われた国民精神総動員大演説会で、ナショナリスト的神話づくりの一つとして、満員の聴衆に向け国民一丸となり戦うことを求めた。