愛子さまは泣いているのではないか
「盃に春の涙を注ぎける」
これは、愛子内親王が卒論で取り上げた平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌人、式子内親王の歌の前半部分である。
最近の愛子内親王の脳裏には、この歌がよぎるのではないだろうか。すでに季節は夏に変わったが「春の涙」、そんな気持ちにさせる今の国会での議論である。
政治家の人たちは、「いったい私をどこに向かわせようとしているのだろうか」。愛子内親王がそのような思いを抱いても不思議ではない。もしかして「孤高のプリンセス」に追いやろうとしているのではないのか――その思いに至ったとき、涙がこぼれるのも自然なことである。
愛子内親王の重要性は日増しに高まっている。すでに〈愛子さまは天皇陛下の合図で入ってきた…島田裕巳「愛子さまを中心に据えるという天皇家の意思が見えた瞬間」〉で指摘したように、天皇家では愛子内親王を中心に据えようとする方向で進んでいる。
それにつれ、愛子内親王が単独で公務などにあたる機会が増えている。
天皇家「唯一の子」の重圧と孤高
これは公務とは言えないが、6月8日、愛子内親王は池袋の東京芸術劇場で開かれたウィーン少年合唱団のコンサートを鑑賞している。
愛子内親王自身がウィーン少年合唱団のコンサートを訪れたのは2017年以来のことなのだが、そのときは一家での鑑賞であった。近年は、天皇皇后が夫妻でこのコンサートを訪れてきた。
今回は愛子内親王単独で、となった。それは、皇居内で開かれる雅楽鑑賞会に、はじめは天皇とともに訪れていたのが、やがて単独で訪れるようになったケースと似ている。
皇族数が減少するなかで、それぞれの皇族の負担は増している。天皇ともなれば多忙を極めている。できるところは愛子内親王に任せたい。今回もそうした意味があるのではないだろうか。
改めて言うまでもなく、愛子内親王は、現在の天皇家に生まれた唯一の子である。
ほかに兄弟姉妹がいれば、役割の分担はいくらでもできる。だが、子どもは自分一人であり、それができない。しかも、天皇家を担っていかなければならないという重圧が愛子内親王の双肩にかかっている。「孤高のプリンセス」という表現が浮かぶのも、それゆえに凛とした雰囲気を漂わせているためである。
しかし、このところ続いている国会での議論は、愛子内親王のそうした立場をまったく理解しないものになっている。