「世論の圧力」を受けて対外政策を誤ってしまった
メディア操作やプロパガンダといったナショナリスト的神話づくりを通じて、国民に日中戦争が大きな優勢の下で進んでいるとの認識を与えていたため、交渉を成立させるならばその条件は圧倒的に有利なものでなければ、国民からの支持が得られないと近衛内閣は認識していた。
実際、広田外相は交渉条件のつり上げが「世論の圧力」によるものだったことを認めている。すなわち12月14日の大本営政府連絡会議での「和平条件」は、「国民の期待」「国内の要求」「かかる条件にて国民はこれを納得すべきか」を考慮せざるを得ないものになっていたのである。
史実は、近衛内閣が排外的ナショナリズムに熱狂する国民に拘束され、対外政策の自律性を拘束されていたことを示唆している。
近衛内閣による一連のナショナリスト的神話づくりが最高潮に達したのが、1938年11月に提唱された自己賛美と自己欺瞞に満ちた東亜新秩序声明である。そこで近衛内閣は、「東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設」を戦争目的に規定するに至る。
この時点で戦争目的は、「対支一撃論」により華北問題の全面解決を目指す軍事的目標から、東亜新秩序創設を目指す政治的・道徳的目標に置き換えられる。
ナショナリズムが戦争拡大に影響した“科学的根拠”
以上、近衛内閣のナショナリスト的神話づくりという視角から、日中戦争をめぐる日本外交を検討してきた。これらをまとめると、ここでナショナリスト的神話モデルを例示するために行った事例研究で重要だったのは、以下の点にあるといえよう。
第一に日中戦争拡大の過程で、近衛内閣はしばしばナショナリスト的神話――この際、華北派兵声明、「暴支膺懲」声明、東亜新秩序声明など――に訴えて国民の排外的ナショナリズムを喚起し、日中戦争拡大への支持を調達しようとしていた(仮説①)。
第二に国民はしばしばこうした政府のナショナリスト的神話づくりに呼応して、近衛内閣に日中戦争拡大への支持を与えていた(仮説②)、第三に近衛内閣はしばしば自らが喚起した国民の排外的ナショナリズムに拘束されて、日中交渉における政策の自律性を拘束されていた(仮説③)。
仮に人間に部族主義の心理メカニズムが備わっていなければ、近衛内閣がナショナリスト的神話づくりで排外的ナショナリズムを駆りたてても、国民はそれに応じなかっただろう。
また、そもそも風見や近衛は国民が排外的ナショナリズムに熱狂して、日中戦争を支持するとは考えなかったため、ナショナリスト的な扇動策をとることはなかっただろう。
一見すると、日中戦争の拡大にはナショナリズムが大きくかかわっている。しかし、なぜ、いかにしてナショナリズムが戦争拡大に寄与したのかを科学的根拠が備わった形で説明するためには、理論家は部族主義という人間本性をめぐる科学的知見を理解する必要がある。
こうした進化政治学の知見を踏まえることではじめて、社会科学者は、ナショナリズムが戦争を起こる論理について、実在論的な意味での科学的妥当性を備えた因果メカニズムを与えられるようになるのである。