全員が少しずつ損する大岡裁きの「ゆるさ」

「三方一両損」という落語があります。

金太郎という左官職人が往来で3両の金が入った財布を拾います。中にあった書付を見て持ち主の大工の吉五郎に返しに行きます。江戸っ子である吉五郎は「もはや手から離れたものだから俺の金じゃないから、金は受け取れねえ!」と言い張ります。しかし、金太郎もまた江戸っ子であり、「冗談じゃねえ、そんな金もらうわけにはいかねえ!」と突っぱねます。両者言い張る中、奉行所に持ち込まれることになり、大岡越前(大岡忠相)が裁くこととなります。

越前は、どちらの言い分ももっともで、一理あると認めます。そこで、自らの1両を加えて4両とし、2両ずつ金太郎と吉五郎に分け与えるという沙汰を下します。つまり、金太郎は3両拾ったのに2両しかもらえず1両損、吉五郎は本来3両落としたのに2両しか返ってこないので1両損、そして大岡越前は裁定のため1両支払ったのでありました。

つまり三方が一両ずつ損し合おうという発想です。まさに「ゆるさそのもの」ですよね?

江戸時代の銀行
写真=iStock.com/Yue_
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「向こうには向こうの言い分がある」

無論、これはあくまでも落語で、フィクションそのものですので、そのまんま援用させるべきだなどと言っているのではありません。そんなのは荒唐無稽です。

ですが、そうではなく、この落語のバックボーンにあるような緩やかな気風を、われわれのご先祖さまたちは抱いていたんだよなという具合に思いをはせてみることで、昨今の「分断」からくるギスギス感は幾分緩和されるのではないでしょうか、という一落語家からの提案なのです。

大岡裁きのような鮮やかな裁定はあくまでも理想ですが、「向こうには向こうの言い分がある」と一瞬でも相手を思いやることで、世知辛い拮抗関係が穏やかになるのではないでしょうか?

「感染予防対策か、景気浮揚か」という二元論ではなく、「感染予防対策も、景気浮揚も」、どちらも大事なものとしてその妥協点を見出してゆくことで、より平和的になれるのではと、感じています。