「8割おじさん」コロナに振り回された一年

本日から来年1月11日にかけて、観光支援策「GoToトラベル」が全国一斉に停止となりました。

夜の京都でマスクをつけ橋の上に立つ着物を着た日本の女性二人
写真=iStock.com/Satoshi-K
※写真はイメージです

菅首相は14日に「全国一斉停止」を表明する直前まで、「ずっと継続する」などと言っていたのが、急転直下的に意見を変えたのは、世論で判明した支持率の急降下により、「空気を読んだものなのかなあ」と「ゲスの勘繰り」をしております。が、まあ、賛成意見と反対意見の拮抗している状態に対して、結論をはじき出すというのが政治家の役目とはいえ、相当悩ましいことなのでしょうなあ。

いやあ、ほんと新型コロナウイルスが猛威を振るい続けた一年となりました。

今年2月の「ダイヤモンドプリンセス号」から感染者が出たあたりの頃は、まだ私はひとごとで、「4月ぐらいには収束するだろう」というようなイメージでいました。従来のインフルエンザと同じような感覚で、季節が過ぎ去れば自然に消滅するか、消滅しないまでも感染者の数も逓減ていげんしてゆくようなものと思っていました。

が、そんな考えは、まったくもって甘いものでした。以降、落語や講演、要するにリアルに人に会う仕事が8割方飛んでしまうという意味での「8割おじさん」に、私はなってしまっていました。

そこで強制的にできてしまった空白の時間を埋めるべく、『安政五年、江戸パンデミック。』というこのご時世ならではの著書を始め5冊の本の出版、そして来年5月に書籍化の決定している「初小説」という新ジャンルへの挑戦などと必死に、坂口安吾流に言うならば「あちらこちらいのちがけ」の日々ではあります。

談慶が選ぶ今年のキーワードは「分断」

秋口以降になって、ようやく「落語などの伝統芸能は満席にしてもいい」というお達しが出ました。落語の仕事も回復しつつはありますが、そうはいっても「肩やひじが触れるような満席の空間」に対して、まだお客さまも抵抗あるような塩梅で、私のみならずなかなか客席が埋まらない日々が続いています。

会場入り口での検温、手指の消毒はもちろんのこと、各演目が終わり、演者が入れ替わるごと行われる「換気タイム」の励行など、「ニューノーマル」態勢もデフォルトとなりました。

人間の慣れというものは恐ろしいもので、近頃では「空席が当然」というようにすら受け止められるようにはなってきました。

ま、とにもかくにも、今年を振り返ってしみじみ思うのが、「分断」という言葉ではないでしょうか?