体育会系出身60代広告代理店の人に腕相撲を仕掛けられた

「マウンティング」という言葉が広まっています。

他者を見下ろす位置に立ち、自分の優位性をアピールしようとする言動のことを指します。

主として若い人たちがそうなりがちだとのことですが、先日、そうともいえない場面に接しました。

日本のタクシードライバー
写真=iStock.com/U.Ozel.Images
※写真はイメージです

私が55歳の落語家なのにベンチプレス125キロなどとツイッターの自己紹介欄にも記入しているせいでしょうか。大学の先輩に当たる体育会系出身で面倒くさい60代前半の広告代理店の人に、落語イベントの楽屋にて腕相撲を仕掛けられましたっけ。

屋外イベントでの落語会だったので「全集中の呼吸」をしなければならないナーバスなひとときであり、とはいえその人が企画した仕事でもあり、複雑な立場をテキトーにやり過ごしました。こんな愚痴を仲良くしている若い力士さんに言うと、「いやあ僕らにも腕相撲を迫ってくる人がいますよ」とのことでした。

相手はアスリートです。万が一怪我をさせたらどうしようという意識が働かないのもすごいことです。かように人より秀でたい、「俺は相撲取りに腕相撲で勝った」などと威張りたいという意識、つまりマウンティングとは年齢問わず誰もが奥底に抱いている欲望のようなものなのかもしれません。

前座の頃でしょうか、某地方都市で、談志と一緒に乗った落語会の会場にまで向かうタクシーの運転手さんがやたらとダジャレを吹っ掛けて来る人で談志はとても難儀していました。

「こないだ談志を乗せたけど、俺の方が面白かったよ」とでも言いたかったのでしょうなあ。

優劣二元論の具体的な数値化が「偏差値」となった

さて、この「マウンティング現象」、話をわかりやすくするため日本の歴史に特化して振り返ってみましょう。

現代文明は、「優と劣」「正義と邪悪」「美と醜」「健康と病気」などなど二元論の中、発展してきました。

特に日本の場合は、幕末あたりからそのムードが高まり「日本は欧米に比べて遅れている」という発想が植え付けられ、「このまんまだと植民地化されてしまう」という強迫観念とともに、一気に明治維新が行われました。

劣等意識が国家権力と一体となった形での変革は、常にスピード感をもってなされてきたのです。

「優が善で、劣が悪」というのは言ってしまえば分断的発想そのものです。これは特に産業面での志向と親和性を持ちますます発展してゆきました。そしてそんな優劣二元論の具体的な数値化が「偏差値」となって、序列化された大学から輩出される学生が機械的に日本経済の下支えをし続けてゆくことになります。

つまり二元論的思考は、この国の社会システムを安定させるために機能的に作用したのです。これは非常に効率的で、この仕組みに沿うように、右肩上がりの経済成長、つまり世界史的にも稀有な「高度経済成長」が成し遂げられました。