政権与党の思いより「甘党」ばかりが取り沙汰される
日本学術会議への政府の対応が揺れています。
「アカデミックな分野への政治介入はおかしい」という意見にも肯けますし、「民間団体ではないのだから政治家が正すのは筋」という考え方もわかります。双方の立場から見つめてみますと、いずれも共通点は「説明が不足している」という点でしょうか。
さらに自民党の甘利議員の臆測にもとづいた発言がブログから削除される、また当の菅首相も所信表明演説が遅れるという異様な事態が拍車をかけていました。自民党やら政権与党やらの思いというよりも、菅首相がパンケーキ好きだということがフィーチャーされて「甘党」だということはよくわかりました。
ところで。
7年8カ月も続いた安倍政権の特徴は、人事をちらつかせることによって官僚支配を徹底させてきたことだという識者もいました。その結果として、官僚は「権力者側のその先の思い」を「忖度」するようになったのでしょう。極論すれば、ある意味「説明不足」を補完する行為こそが「忖度」なのかもしれません。
そんな「忖度」について考えながら先日、8月に出した『安政五年、江戸パンデミック。』(エムオン・エンタテインメント)、9月に出した『落語はこころの処方箋』(NHK出版)という2冊の本の売れ行きをチェックしようと新宿紀伊國屋書店を訪れました。すると、一階の入り口のところで古地図フェアが展開されていました。幕末についての本を書いたばかりのこともあり、3000円以上もする安政年間の江戸古地図をゲットしました。
往時に想いを馳せ、当時の江戸っ子たちはどのような暮らしぶりだったのかを時空を超えてトリップさせてくれるのが古地図の魅力とばかりに帰宅後早速広げてみて、いやあ、驚きました。
「江戸のほとんどが武家屋敷」だったのです。
日本国民は「損得勘定」ではなく「忖度勘定」で動く
100万人が住む大都市といわれた江戸はおおむね武家階級が50万人、町人が50万人という比率でした。それなのに、江戸の7割方は武家屋敷という環境は、必然的に長屋の密集化をも意味し、まさに安政五年に大流行したコレラは「長屋クラスター」を発生させたのでした。
文章を読んで頭で理解するより、古地図を見れば一目瞭然、町人たちが息を潜めてお侍さまに気を使っている空気感がはっきりと可視化されたような心持ちになりました。
ここでさらに想像を広げてみます。
つまり、町人たちがその頃から忖度し合うような空間こそが江戸の町で、まさにそれがこの国の中心地であり続けてきたからこそ、忖度意識が醸成されていったのではないか、と。
世界史上まれにみる「無血革命」的な明治維新が達成されたおかげで、江戸の町のレイアウトが変わることなく新時代に移行されたということは、江戸の町の地勢、空気、匂いも、そのまま受け継がれたことを同時に意味します。
「お上に気を配る」という「忖度」姿勢はシステムが変更されたとしても継続されることになったのではないでしょうか。まして明治以降の中央集権国家となればそんな首都の影響は全国に及ぶはずです。
つまりわれわれ日本人は、官僚のみならず全国民が「損得勘定」ではなく「忖度勘定」で動く国民なのかもしれません。