一度は開発センタ所長まで経験した“団塊”社員。「会社人生でやり残したことがある」と自ら降格を直訴してまで、ハイブリッド開発現場の最前線に戻った。その理由とは――。

“2階級降格”でも再チャレンジしたい

建設機械国内最大手のコマツは、2008年6月、ハイブリッド式油圧ショベル「PC200-8」を発売した。市販車ベース「建機で世界初」を売り物にしたこの新機種の開発には、ひとりの団塊技術者の何かに取り憑かれたような執念があった。

<strong>平木彦三郎</strong>●研究本部技監。東京大学工学部卒業後、小松製作所入社。米MIT大留学、開発本部システム開発センタ所長などを経て、2005年4月から現職(写真右)。<br><strong>井上宏昭</strong>●開発本部建機第一開発センタ環境商品開発グループチーム長。横浜国立大学工学部卒業後、小松製作所入社。エンジン開発、システム開発を歩み、2008年2月から現職(写真左)。
平木彦三郎●研究本部技監。東京大学工学部卒業後、小松製作所入社。米MIT大留学、開発本部システム開発センタ所長などを経て、2005年4月から現職(写真右)。
井上宏昭●開発本部建機第一開発センタ環境商品開発グループチーム長。横浜国立大学工学部卒業後、小松製作所入社。エンジン開発、システム開発を歩み、2008年2月から現職(写真左)。

60歳の定年が頭の片隅にちらつき始めた04年頃、研究本部の技監だった平木彦三郎は満たされぬ思いと挌闘していた。

〈定年までに何かを残したい。世の中にちゃんと出せるハイブリッド建機を何としても完成させたい〉

トヨタ自動車がプリウスを出してハイブリッド・ブームに火をつけたのが1997年。それを契機にコマツもハイブリッドの研究開発に着手するが、その取りまとめ役を任されたのが当時、開発本部建機エレクトロニクス事業部システム開発センタ所長を務めていた平木だった。

しかし、会社人生には異動が付きものとはいえ、平木も志半ばで研究本部の技監として本社勤務の辞令を受けることとなった。技監という職責は研究開発全体を統括する。形としてはハイブリッドから完全に離れたわけではないが、その開発だけに没頭できる立場にはなかった。

手塩にかけてハイブリッドを育ててみたいと思っていた矢先に、突然子供を引き離されたような悶々とする日々が続き、その心の葛藤は平木にある決断を促した。本社の技監を兼務しながらも、システム開発センタのグループマネジャー(GM)として戻る人事をあえて直訴したのだ。センタ所長を務めた人物がその部下に当たるGMに戻ることは異例で、2階級特進ならぬ“2階級降格”を甘んじて受け入れてのハイブリッド再チャレンジであった。