開館から1年で188万人もの入館者。鉄道博物館は、女性鉄道ファンを増やし、“鉄子”なる新語まで生み出した。見て、触って、遊んで、学べる博物館は、さらなるアイデアで人を呼び込む。
東京駅長から博物館長へ“輸送屋”ゆえの戸惑いも
2006年6月。JR東日本の東京駅長を5年間務めた関根徹は、退任を間近に控えていた。東京駅長は、旧国鉄時代から現場で働く鉄道マンにとって、最高のポストであり、あこがれでもある。
しかし、感傷にふけっている時間はなかった。7月1日から、JR東日本の関連団体である東日本鉄道文化財団理事(副理事長)に就任し、鉄道博物館の館長を兼任することになっていたからだ。関根は当時を振り返る。
「正直にいえば、最初は『困ったな』と思いました。博物館の館長といえば、大学教授など、その分野に造詣の深い専門家が圧倒的に多い。しかし、私は一介の“輸送屋”にすぎません。鉄道の仕事に従事してきたとはいえ、マニアでもないし、鉄道史に詳しいわけでもない。機械や電気、土木も得意ではない。私に何ができるんだろうと戸惑いました」
辞令を受けた当初は、当惑した関根だが、自らを楽天的な性格だというだけあって、「駅長を退いたら何をやりたいんだと聞かれたら、博物館もいいかなと思った」と気持ちをすぐに切り替えた。
鉄道博物館は、07年に控えるJR東日本創立20周年記念事業最大の目玉だった。10月14日の開館に向け、埼玉県さいたま市にある大宮総合車両センター(旧大宮工場)内の旧車両解体線跡地に、3階建て、延べ床面積2万8000平方メートルという巨大な建物の建設が急ピッチで進んでいた。
開館まで1年3カ月あまり。博物館に着任した関根を待っていたのは、面倒でややこしい仕事だった。