開館から1年で188万人もの入館者。鉄道博物館は、女性鉄道ファンを増やし、“鉄子”なる新語まで生み出した。見て、触って、遊んで、学べる博物館は、さらなるアイデアで人を呼び込む。

東京駅長から博物館長へ“輸送屋”ゆえの戸惑いも

2006年6月。JR東日本の東京駅長を5年間務めた関根徹は、退任を間近に控えていた。東京駅長は、旧国鉄時代から現場で働く鉄道マンにとって、最高のポストであり、あこがれでもある。

<strong>JR東日本 関根 徹</strong>●鉄道博物館館長。1943年、埼玉県生まれ。63年旧国鉄入社。民営化後はJR東日本で輸送や販売を担当。97~99年大宮駅長、2001年東京駅長。06年に東日本鉄道文化財団副理事長兼鉄道博物館長に就任。大宮駅長時代、当時の大宮市長から交通博物館誘致の協力を依頼された経緯がある。
JR東日本 関根 徹●鉄道博物館館長。1943年、埼玉県生まれ。63年旧国鉄入社。民営化後はJR東日本で輸送や販売を担当。97~99年大宮駅長、2001年東京駅長。06年に東日本鉄道文化財団副理事長兼鉄道博物館長に就任。大宮駅長時代、当時の大宮市長から交通博物館誘致の協力を依頼された経緯がある。

しかし、感傷にふけっている時間はなかった。7月1日から、JR東日本の関連団体である東日本鉄道文化財団理事(副理事長)に就任し、鉄道博物館の館長を兼任することになっていたからだ。関根は当時を振り返る。

「正直にいえば、最初は『困ったな』と思いました。博物館の館長といえば、大学教授など、その分野に造詣の深い専門家が圧倒的に多い。しかし、私は一介の“輸送屋”にすぎません。鉄道の仕事に従事してきたとはいえ、マニアでもないし、鉄道史に詳しいわけでもない。機械や電気、土木も得意ではない。私に何ができるんだろうと戸惑いました」

辞令を受けた当初は、当惑した関根だが、自らを楽天的な性格だというだけあって、「駅長を退いたら何をやりたいんだと聞かれたら、博物館もいいかなと思った」と気持ちをすぐに切り替えた。

鉄道博物館は、07年に控えるJR東日本創立20周年記念事業最大の目玉だった。10月14日の開館に向け、埼玉県さいたま市にある大宮総合車両センター(旧大宮工場)内の旧車両解体線跡地に、3階建て、延べ床面積2万8000平方メートルという巨大な建物の建設が急ピッチで進んでいた。

開館まで1年3カ月あまり。博物館に着任した関根を待っていたのは、面倒でややこしい仕事だった。