現在、次世代の皇族で皇位継承権を持つのは、悠仁さまただ1人となっている。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「政府、国会がこの皇位継承順序を自明視・絶対視しているように見えることは、秋篠宮家の皆さまにとって迷惑このうえないことなのではないか。このままでは、悠仁殿下のご結婚相手は絶対に男子を産まなければ皇室自体を滅ぼす、という強烈なプレッシャーから逃れられず、それはご結婚そのもののハードルを絶望的なまでに高めかねない」という――。(第2回/全3回)

※本稿は、高森明勅『愛子さま 女性天皇への道』(講談社)の一部を再編集したものです。 

東京中央の帝国東庭園の周囲
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お子さまに対する教育姿勢の“温度差” 

秋篠宮殿下の悠仁殿下への教育姿勢と、天皇陛下が学ばれた時の様子とを比べると、かなり“温度差”が感じられます。

たとえば、上皇、上皇后じょうこうごう両陛下がまだ皇太子、同妃でいらした昭和時代。天皇陛下がまだ浩宮ひろのみや殿下と呼ばれていた頃の記者とのやり取りに目を向けてみましょう。

皇位継承順位が第2位という点では、今の悠仁殿下と同じポジションでした。当時は学習院中等科3年なので、今の悠仁殿下よりお若くいらっしゃいました。やり取りがあったのは、昭和49年(1974)の上皇后陛下の40歳のお誕生日に際しての記者会見でした(昭和49年=1974=10月17日)。記者は「浩宮様の教育方針について」質問しました。これに対して、上皇后陛下は次のようにお答えになっています。

「将来、国際的な視野を求められることになるので、この時期に、日本の歴史、文化史のような、その基になるものを学ばせたい」

ここで「将来、国際的な視野を求められることになるので」とおっしゃっているのは、浩宮殿下がやがて天皇として即位されることを当然の前提とされています。また天皇陛下が学習院高等科2年だった昭和51年(1976)12月17日、上皇陛下が43歳のお誕生日に際しての記者会見では、次のようなやり取りがありました。

記者はストレートな質問を投げかけていました。「浩宮様にはどういう帝王学をお考えですか」と。これに対する上皇陛下のお答えもストレートでした。

「帝王学という言葉が適切かどうかとも思いますが、たとえば、日本の文化、歴史、とくに天皇に関する歴史は学校などでは学べないものです。それをこちらでやっていくことにしたい。……(中略)『象徴学』は一つの言葉では表せないと思います。いろんな材料を与えて、それをいかに咀嚼そしゃくしていくかが大事です」

昭和52年(1977)の上皇后陛下の記者会見(10月18日)では、次のような発言もありました。

「浩宮が将来の自分の立場を自覚して、皇室の歴史を貫くじんの心(他を思いやり、いつくしむ心)を身につけていってほしい」――。