どんな企業でも戦略の総取りは混乱を招く
一方、ソニーは設立当初から高度な研究開発型の組織だった。最初のヒット作はテープレコーダーだ。創業者の井深大氏の意向が強く働いていた時代は、開発した製品をどんどん流通に乗せればよかった。輸出が日本の大きなビジネスの柱だったという背景もある。この時点では、事業単位で利益管理を行う事業部制をとる必要もなく、原初的な形態のままで経営を行っていた。ウォークマンのヒットまでは、この経営形態が続く。
大賀典雄氏が登場してからは「地理的拡大」が戦略となり、地域本社を強化していった。80年代には、半導体の重要性が増し、ソニーも半導体の内製化を始める。これはすなわち、川上方向への「垂直統合」である。
さらに、ミニコンが登場すると、ソニーもワークステーションに参入した。ソニーのコアコンピタンス(競争力の核)は磁性体技術にあったため、コンピュータへの参入は本格的な「多角化」戦略を意味する。これは、出井伸之氏の時代にパソコンのバイオやゲーム機のプレイステーションが登場する礎となった。さらに大賀氏の時代には、大型のM&Aを行い、CBSレコード、コロンビア映画を買収。多方面で「多角化」が始まったのだ。毛色の異なるこれらの事業をまとめるため、ソニーも事業部制的な制度を導入せざるをえなくなった。その究極の答えが、カンパニー制の導入だった。
ところが、ソニーはもともと井深、盛田(昭夫氏)、大賀と、強力なリーダーの下で、中央集権的経営をしてきた会社だ。カンパニー制という分権型の器を導入したが、これを動かす方法がわからず混乱したのである。
どんな企業であれ、3つの戦略の総取りは矛盾である。ソニーの停滞も必然と言えよう。今も頻繁に組織改編が行われており、落ち着く気配はない。
バブルの後遺症からその場しのぎの経営を続けた日本企業を尻目に、90年代の米国企業は、戦略を大きくシフトさせ業績悪化を食い止めた。キーワードは「シンプリフィケーション」。複雑だった戦略をシンプルにするという一点に勝負をかけた。
顕著な例は、IBMだ。もともとはメーンフレームを軸に、地理的拡大と垂直統合を進めていたが、さらにパソコンに手を出し、多角化まで行った。結果、3つの戦略をすべて取ることとなり、経営不能に陥いる。そこで、戦略を地理的拡大に絞った。今のIBMは、事業の方向性が極めて明確になっている。デルの主要事業もパソコンだけ。直近まで多角化していなかった。チャンドラーの理論からも、米国企業の選択は的確だったのだ。
日本の電機メーカーは規模の大きいテレビ事業から離れられないでいる。しかし、テレビが利益を出す時代は終わった。今は、新しい事業分野を探し、そこに経営資源を再配分しなければならない。
※すべて雑誌掲載当時