2009年6月1日、ゼネラル・モーターズ(GM)が日本の民事再生法にあたるチャプター・イレブン(連邦破産法11条)の適用を申請し、経営破綻した。負債総額1728億ドルは世界の製造業で過去最大の規模だ。

この世紀の倒産劇を、GMが世界最大最強を誇っていた60年前から予見していたのがピーター・ドラッカーである。ドラッカーがGMの未来を予見できたのはなぜか。理由の一つは、自らの手で徹底的にGMの内部調査を行ったことである。

社会学者、思想家としても知られるドラッカーだが、経営学者として大きな一歩を踏み出したのはGM研究。新進気鋭の経営学者として活躍し始めた彼に注目したGMが、自社分析を依頼したことがきっかけだった。

1年半かけてGMのすべてを調べ上げ、ドラッカーはその成果を『企業とは何か』という本にまとめた。この中で、ドラッカーはGMの成功の秘訣は分権化にあると結論付ける。事業部制による垂直的な分権化、そしてアドミニストレーション(管理)とオペレーション(現場)を完全に分ける水平的な分権化を組み合わせた組織運営が生産性を飛躍的に高めたのだ、と。

ドラッカーがGMの分権化を評価した背景には、組織運営においては個々人の能力を開花させるべきという彼の哲学がある。組織が巨大化すると個人は部品のようになってしまい、能力やリーダーシップを発揮する余地がなくなる。個人の能力やリーダーシップを十分に発揮させる組織運営こそが彼のいう「マネジメント」であり、そのためには分権化が不可欠というのがドラッカーの考え方の基本だった。

ドラッカーの提言を「拒否したGM」と「積極的に取り入れたトヨタ」

ドラッカーの提言を「拒否したGM」と「積極的に取り入れたトヨタ」

こうした分析および評価を経て、ドラッカーはGMに大きく3つの提言を行った。第一は今のやり方を変えよというイノベーションの必要性。「どんな組織も20年も続ければ時代に合わなくなりうる」として、経営政策の見直しや組織変革の必要性を説いた。第二はGMの中でも巨大化していたシボレー事業部を分離・独立させること。第三はより多くの権限を現場に与えることによって、従業員が主体的に物事を考え、経営に参画できる仕組みにせよ、ということ。後年、ドラッカーは「知識労働者」「知識労働社会」という概念を打ち出すが、萌芽はこの時代からあったのだろう。

実際、破綻して国有化されたGMは不採算事業を引き継ぐ「旧GM」と主力ブランドと優良資産を受け継ぐ「新GM」に分割され、今後旧GMは資産売却を進めて清算される予定。新GMはシボレーなどの主力事業で構成されており、まさにドラッカーが主張したとおりの結末を迎えたといえる。

『企業とは何か』は1946年に刊行されて以降、世界中に影響を与えた。フォードやGEの組織改革、分権化のテキストになったばかりか、大学や軍など異分野でも組織改編の参考にされた。しかし題材になった当のGMは一切取り合わず、ドラッカーの提言を頑なに拒否する。

「世界最強の企業がなぜ自分からやり方を変えなければならないのか」「儲けの柱のシボレーを切り離すなんてとんでもない」「労働者が経営に口を挟んでどうする」――。GM側の反発に強者の驕りがあったことも確かだろう。彼らは自分たちの経営方法が永遠不変の真理だと考えていたのだ。

GM破綻の根本原因の一つといわれるのは、利益率が高くアメリカ人好みの大型車づくりというパラダイムから抜け出せず、燃費のいい小型車やエコカーなどの開発において圧倒的な後れを取ったことだ。それはドラッカーが指摘した個々人の能力を最大限に引き出すための分権化や、組織を進化させるイノベーションに前向きに取り組んでこなかった結果である。金融危機で打撃を直に受けたのも、クルマが売れなくなれば自動車ローンなどの金融業で儲ければいいという姿勢を取り続けて、本質的な問題解決を回避してきたからだ。

※すべて雑誌掲載当時

(構成=小川 剛)