両親が水泳に関して過度に熱心でない

「康介の近い年代にすごく評価の高い子どもがいたんです。ただ、練習を休みがちだった。才能はあるんですけれど、気が弱い。アトランタオリンピックの予選会で感じたことを、東京スイミングセンターの中に当てはめてみると康介しかいない」

北島の両親が水泳に関して過度に熱心でないことも都合が良かった。

北島に平井は「康介、お前、オリンピックに行きたいか」と話しかけている。すると北島は「行きたいです」と即答した。

「じゃあ、一緒に目指そうじゃないか」

平井は北島に提案をした。今後、練習に集中するため、塾通いを辞めること、東京スイミングスクールから近い高校に進学することの2つだった。そして週一度はトレーニングジムで平井と共にウエイトトレーニングを始めた。

平井はコーチとして大切なのは、選手の「感性」を磨くことだと自著で書いている。

〈私は、日頃練習のときに、
「今日はこのテクニックを直そうと思うんだけれど、今泳いでどんな感じだった?」
などと尋ねるようにしている。
選手はつねに考えながら泳いでいるわけではないが、水をつかめたか、つかめなかったかは感じている。そこを意識して泳げるかどうかで、練習の意味合いが変わってくるのだ。
最初のうちは「よくわかりません」「あまり感じませんでした」などという答えが返ってくるだけだが、なんども質問を繰り返しているうちに、
「今日はすごくお腹に力が入って、水がちゃんとかけてます」
といった返事が返ってくるようになる。
こうなると、コーチから言われたとおりに半ば強制的にやらされていた練習が、きちんと意味づけられ、何倍もの密度の濃さになってくる〉(『見抜く力―夢を叶えるコーチング』)

これは、前章の「ゴルフ」編でアンダース・エリクソンが定義する〈心的イメージを意識したフィードバック〉と重なる。

前半いい泳ぎをするから後半がある

平井が気を遣ったのは、北島を守りながら育てることだった。中学3年生のとき、北島は、短水路(25メートルプール)の中学記録を出せるような練習をしていた。すると上司のコーチが中学記録が出るかもしれないと騒ぎ出したという。

「まずいなと思いました。それで試合前、練習を厳しくしました。うまく泳げているのに、やり直しをさせていつもよりも躯に負担をかけたんです。康介には何も話していません。心の中でごめんな、って言っていました。彼はなんでこのコーチ、練習きついのかなと首を傾げていたかもしれない。康介はストレートでオリンピックを目指さないといけない時期でした。中学記録程度で騒がれて、周囲が浮かれてしまっては困ると考えていたんです」

平井の目論見通り、北島は記録を出すことはなかった。

育成方法にも工夫をしている。北島にはレースの後半失速する傾向があった。平井はあえて得意な部分を伸ばすことにした。

「100メートル、1分5秒前後で泳いでいたときに、こう聞いたんです。“康介、1分切るにはどうしたらいいかって”。すると彼は“先生、前半27秒ではいらないと1分切れないです”と答えた。そうか、じゃあお前は前半が得意だから、まずは来年に前半29秒を目指そうと。これは当時の日本記録レベルのタイムです」

前半29秒台を出すことはできるが、後半どうなるかわかりませんと北島は言った。それでいい、前半いい泳ぎができれば後半も早く泳げるよと平井は返した。

「普通ならば100メートルで1分3秒、1分2秒に縮めようという指導をする。康介にはそうしなかった。そうしたら、本当に日本選手権で(前半)29秒に入った」