子供の頃に熱中したスポーツは、人格形成に大きな影響を与えているのではないか。集団競技か、個人競技か。ポジション、プレースタイル、ライバルの有無……。ノンフィクション作家の田崎健太氏は、そんな仮説を立て、「SID(スポーツ・アイデンティティ)」という概念を提唱している。この連載では田崎氏の豊富な取材経験から、SIDの存在を考察していく。第3回は「マラソンランナー」について――。
朗らかで話が途切れない明るい男
ぼくが瀬古利彦と初めて会ったのは、1999年7月のことだった。
このとき、98年ワールドカップで日本代表を率いていた岡田武史がコンサドーレ札幌の監督となっていた。ぼくの友人たちが“私設岡田武史応援団”なるものを立ち上げており、その一員として、札幌で行われた試合を観戦することになったのだ。
試合後の食事会に岡田が顔を出した。そしてエスビー食品の陸上部監督だった瀬古が、合宿で北海道に来ているはずだ、呼び出そうと言い出したのだ。岡田と瀬古は早稲田大学出身であり同じ年だった。
瀬古利彦という名前を聞いたとき、現役時代の苦渋に満ちた、痩せた逆三角形の顔が浮かび上がってきた。ところが店に現れた、実際の彼は全く違っていた。朗らかで話が途切れない明るい男だったのだ。
全く思っていた人と違いましたとぼくが軽口を叩くと、彼は「みんなにそう言われるんだよ」と大笑いした。
求道者のような、瀬古の像を作り上げたのは、早稲田大学競走部で出会った中村清である。