受験のストレスで走る気力がなくなり、10キロ太る

瀬古は大学入学前に大きくつまずいている。

インターハイなどで目覚ましい成績を残していた瀬古には多くの大学から誘いがあった。中でも高校の監督から陸上に力を入れている、自らの出身校を強く薦められた。

「でも(陸上部の)部長は早稲田に行ったらどうかって。うちの父は“ずっと走るわけじゃないし、行けるんだったら早稲田大学のほうがいいんじゃないか”って。それで早稲田を受けたんです」

瀬古は一般入試で教育学部と商学部を受験することにした。陸上の成績が加味されるため、ある程度以上の成績を取れば合格だと聞かされていたのだ。ところが両学部とも不合格――。

「もう目の前が真っ暗になりましたよ。俺の人生どうなっちゃうんだろうって思いました」

そこで二人の跳躍競技の選手と共に南カリフォルニア大学陸上部で練習しながら、翌年の受験に備えることになった。

「5月からロサンゼルスに行きました。向こうは9月から入学ですから、それまでは自炊しながら自分たちで練習。9月からは大学で練習したんですけれど、長距離の選手がいなかった。コーチもいたけれど、長距離の専門家じゃなかったんです。次の入試で受かるんだろうかっていう不安もあったし、ホームシックにもなりました。ストレスが溜まって走る気力がなくなって、10キロ太りましたものね」

世界一のために、土のついた草を食えるか

1年後の入試で合格、早稲田大学に入ることになった。入学前、瀬古は館山で行われた競走部の合宿に参加している。そこで中村と出会うことになった。

〈「心の中に、火のように燃え尽きない情熱をもって練習をしなければ、強くはなれない、泣く泣くやる練習はやっただけだ」
「今日から初めて陸上をするという原点に返った決心で、練習をすること」
全員を目の前に、先生は、確かそのようなことを言ったと記憶している。(中略)
そして「今の早稲田が弱いのは、お前たちの面倒をみなかったOBのせいだ。OBを代表して私が謝ります」と言って、自分自身の顔を、思いっきり平手でバンバンと手加減なしに、何十発も殴った。
あっけにとられて見ていると、今度は辺りに生えている草をむしり、土の塊のついた草を手に取るとこう言った。
「これを食ったら世界一になれると言われたら、私はこれを食える。練習も同じで、なんでも素直にハイと返事をしてやれなくては、強くなれないんだ」
まさか食べるわけはないだろう、と思った瞬間、土のついた草を口の中に入れ、草を噛みちぎって、土をジャリジャリと言わせながら食べてしまった。
その直後に、こう言われた。
「瀬古、マラソンをやれ。君なら世界一になれる」〉(瀬古利彦『瀬古利彦 マラソンの真髄』)