少しづつ煉瓦を積み上げて行けるか

前回大会福岡で200メートル平泳ぎの優勝はハンセンで、100メートルで世界記録を出した北島と一騎打ちという予想だった。150メートルまで並んでいた2人だったが北島が優勝、ハンセンは3位に終わった。

「北島は電光掲示板で世界新記録を出したことを知って喜んた。ハンセンは負けたと分かって電光掲示板を振り向きもしなかった。少し時間が経って(北島を祝福しようと)握手を求めたんですけれど、北島は気がつかなかった。それでまた落ち込んだ表情になった。そのビデオを何回も観て、彼はかなりナーバス、真面目な人間だなと思った。北島の存在を意識させれば崩れるんじゃないかと」

アテネオリンピックの決勝レース前、平井は北島とハンセンのビデオを何度も見返した。2人はまちがいなく接戦になる。ちょっとした差が勝敗を分かつことになる。タッチの際、慌ててひとかき多くならないよう躯を伸ばす。体力がなくなってもタッチミスをしないような作戦をとった。

「康介の才能は、ストロークを少しだけ遅くしろという指示に応えられること。それによって0.1、2秒のタイムを落とすことができる。トップであっても、少し抑えろっていうと1秒ぐらい落ちてしまう選手もいます。康介はミリ単位でストロークをコントロールできるんです」

決勝レースは、平井の読み通りの展開となった。そして最後まで北島がハンセンをリードして、金メダルを獲得した。

「勢いや運では勝てないんです。根拠のない自信は簡単に崩れる」

水泳とは少しずつ煉瓦れんがを積み上げていくようなものだと平井は表現する。それができる選手でなければ、継続して勝つことはできない。水泳選手のSIDである——。

目を見つめて全身を耳にして聞く子供

北島との出会いについて平井は自著でこう書いている。

〈私が康介をコーチしはじめた頃は、ガリガリに痩せて体も硬かったし、泳ぎのセンスも飛び抜けていたわけではなかった。どちらかというと、泳ぎに向かない体だった。ところが、1対1のときはもちろん、練習中に私が他の選手を指導しているときでも、ジーッと私の目を見つめて全身を耳にして聞いているのがわかった。
「康介はものすごく吸収力がいいやつだな」
そう思った〉(『見抜く力―夢を叶えるコーチング』)

平井が北島に目を付ける伏線があった。それは96年3月のアトランタオリンピックの選考会である。

東京スイミングセンターにもオリンピック出場の可能性のある選手がいた。ところが、1月、2月ごろから突然、調子を崩したのだ。

「当時は選手のピークが10代とされていた。10代というのはまだ精神的に出来上がっていない年代です。ライバルがいい成績を出したりすると、ガタガタと崩れてしまう。オリンピックに出られるか、というぎりぎりになると色んなプレッシャーがある。親、親戚、あるいは学校、スイミングクラブが子どもに期待する。最後は周囲に惑わされない、芯の強い子じゃないと持たないということに気がついたんです」

東京スイミングセンターではアトランタオリンピックに向けて思ったような成績を出すことができなかった。

4年後を見据えて、芯の強い子どもを探さなければならないと考えたとき、頭に浮かんだのが、中学2年生だった北島の眼差しだった。