知り尽くしてもなお「人型」にこだわる理由
人間に似せたいからではない。象徴的な存在を作りたいからでもない。人間の形をしているほうが、この世界にすでに存在しているインフラを、そのまま使えるからである。専用設備を作り直すよりも、人間の手で使われてきた道具を扱えるほうが合理的であり、人間が通れる通路を通れるほうが、環境を再設計せずに済む。ヒューマノイドという選択は、情緒やロマンの産物ではなく、既存世界との互換性を最大化するという、冷静で現実的な判断の積み重ねなのである。
筆者は20日、『フィジカルAIの衝撃 「身体をもった人工知能」は2030年の世界をどう変えるか』(朝日新聞出版)を上梓した。その第4章ではこのように書いた。ヒューマノイドの「人間の形」は、決して情緒的な選択ではない。極めて冷徹な工学的合理性に基づいた判断である――というのが本稿の出発点である。
ただし、この命題を語る前に、もう一つ強調しておきたいことがある。それは――ヒューマノイドが特化型ロボットを駆逐する、という議論ではないということだ。むしろ逆である。特化型ロボットは引き続き不可欠であり、ヒューマノイドが一定の水準に達するまでは断然便利だ。そしてそれ以降も、両者は棲み分けながら共存していく。
では、なぜイーロン・マスクも、Unitree創業者の王興興も、AgiBot(智元機器人)共同創業者・彭志輝も、特化型ロボットの優位を知り尽くした上で、それでもなお「人間の形」にこだわるのか――本稿の問いは、ここにある。
ルンバの父は「純粋な空想」と切り捨てた
ヒューマノイドへの批判は、長年にわたって世界の第一線で続いてきた。そして、その批判には正しい部分が多くある。
2025年、米国の著名ロボット研究者ロドニー・ブルックスは、ヒューマノイドが万能アシスタントになるという未来像について「純粋な空想思考である」と切り捨てた。ブルックスはお掃除ロボットの代名詞「Roomba(ルンバ)」を生んだiRobot(米国のロボット企業)の共同創業者であり、半世紀近くロボット産業を見続けてきた人物である。彼の指摘は明快だ。ロボットは「協調」が苦手であり、人間が日常的にこなしている複雑な動作の調整を、人型で代替するのはまだ現実的ではない。
事実、これまでロボット産業を牽引してきたのは、人型ではない特化型ロボットだった。
Amazonは2012年に物流ロボット企業Kiva Systems(キバ・システムズ)を買収し、車輪型の専用搬送ロボットを倉庫に大規模導入することで物流革命を起こした。介護現場でも、人型ロボットより、リフトアシスト型の特化機械の方が現実的に普及してきた。製造業の溶接・塗装・搬送といった工程では、産業用アームロボットが半世紀近くにわたって主役を担い続けている。ファナック、安川電機、ABB(スイス)、KUKA(ドイツ)が世界市場の中核を握ってきた。
これは、決して「人型に敗れた歴史」ではない。むしろ、その逆である。


