重い人生と軽い人生どちらがいいのか

仕事もプライベートも課題が山積みで気が重く、精神的な疲れが溜まって体まで重く感じる。皆さんもそんな感覚を持つことがあるのではないでしょうか。それが積み重なると、自分の人生まで重く感じてしまうことがあるかもしれません。

一方で、私たちは「自分はなんて軽い存在なのだろう」と感じることもあります。もし自分がいなくなっても、世の中は何も変わらない。そう考えると、自分の人生がまるで重みのないものに思えます。この2つの感覚は矛盾するようで、一人の人間の中に同居しうるものです。

自分の存在は重いのか、軽いのか。この哲学的な問いを考察しつつ、男女の愛を巡る物語として展開するのが『存在の耐えられない軽さ』です。著者のミラン・クンデラはチェコスロバキア(当時)出身で、本作は1968年に同国で起こった民主化・自由化運動の「プラハの春」を背景に描かれています。

クンデラは物語の冒頭でニーチェの永劫回帰を取り上げ、「軽さと重さ」というテーマについて考察を繰り広げます。

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永劫回帰とは、この世界ではすべての出来事が永遠に繰り返されるとする概念です。ニーチェ自身は永劫回帰の考えを「もっとも重い荷物」と呼びましたが、その理由をクンデラは次のように解説します。

「われわれの人生の一瞬一瞬が限りなく繰り返されるのであれば、われわれは十字架の上のキリストのように永遠というものに釘づけにされていることになる。このような想像は恐ろしい。永劫回帰の世界ではわれわれの一つ一つの動きに耐えがたい責任の重さがある」

自分の人生が永遠に繰り返されるという考え方は、確かに重く、恐ろしいものです。一方で現実の世界では、私たちの人生は一度きりで二度と戻ってこないのであり、そのような重さを感じることもありません。

よってクンデラは「永劫回帰が最大の重荷であるとすれば、われわれの人生というものはその状況の下では素晴しい軽さとして現われうる」としています。

これを読むと「やっぱり人生は重いより軽いほうが良さそうだ」と思うでしょう。ところがクンデラはこう問いかけます。

「だが重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴しいことであろうか?」

(構成=塚田有香 イラストレーション=米山夏子)

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