「花盛りは過ぎた」と落ち込んだときは

中年と呼ばれる年齢になると、ふとした瞬間に「人生の花盛りは過ぎてしまった」と感じることがあります。実際は40代後半や50代でもまだまだ働き盛りのはずですが、30代と比べると生物としての衰えを感じてしまい、後ろ向きな考えに囚われがちです。時には「ほかの会社に就職していたら、別の人生があったんじゃないか」「ライバルに邪魔されなければ、もっと出世できたのに」などと、もう一つの人生を思い描いては落ち込むことがあるかもしれません。

そんなときこそ、文学の出番です。文学作品を読むメリットの一つは、自分より深く絶望している人物に触れられる点にあります。例えば『人間失格』を読んで、「自分の人生はここまで酷くない」と冷静になり、沈んでいた気分が少し浮上する。文学にはそんな効果があります。

そこで今回は、ロシアの偉大な劇作家チェーホフが絶望の淵にある中年男性を描いた『ワーニャ伯父さん』を紹介します。

ワーニャが抱える絶望とはどんなものか。それを象徴するセリフがこちらです。

「ああ、神様……。ぼくは四十七だ。六十まで生きるとして、まだ十三年ある。長いなあ! この十三年をどう生きればいいんだ?」

続けて「残りの人生を新たに生き直せたらなあ」と嘆き、「さめざめと泣く」のです。

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ワーニャが絶望に打ちひしがれている理由は、「人生を棒に振ってしまった」という後悔の念に苛まれたからでした。

かつての彼は妹の結婚相手である大学教授のセレブリャコフを尊敬し、自分は田舎で馬車馬のように働いて、25年間も教授に仕送りを続けてきました。しかし彼が大学を退職した今、学者としてなんの実績も残せなかった義理の弟に幻滅し、ワーニャはセレブリャコフに騙されたとの思いを強くします。人生の花盛りの時期を他人のために捧げたのに、すべてが無駄になってしまった。そんな悔しさと腹立たしさで一杯だったのです。

その結果、ワーニャも“叶わなかったもう一つの人生”に囚われるようになります。

「ぼくだって才能もあれば、頭もある、度胸だってあるんだ……。まともに人生を送っていれば、ショーペンハウエルにだってドストエフスキーにだってなれたんだ……。(中略)ああ、気が狂いそうだ……」

(構成=塚田有香 撮影=川しまゆうこ イラストレーション=米山夏子)

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