絶滅の危機に瀕した日本のわら細工
正月に欠かせないしめ縄やしめ飾りだが、日本で流通する製品の多くが外国産だ。理由の一つに、低単価で稼げない産業構造が挙げられる。
儲からない伝統産業――。
この構造改革に真っ向から立ち向かう人がいる。長野県飯島町でわら細工をなりわいとする「わらむ」の代表、酒井裕司さんだ。
わら細工職人は減少し続け、国内で数十人いるかどうかという状況だった。製品をつくれる職人が少ないため、わらむには全国から多くの依頼が届き、日本で唯一、大相撲の土俵づくりを手がけている。春日大社をはじめとした全国約100社のしめ縄も製作する。
相撲の土俵も春日大社のしめ縄も、日本全国で職人を探しても見つからず、困り果てた関係者が、それこそ「わらにもすがる思い」で酒井さんに依頼してきたことから始まった。それほど、日本のわら細工は絶滅の危機に瀕していた。
酒井さんが2015年からひとりで始めたわらむは現在、約70人の職人を含む作業員を抱え、しめ縄やしめ飾りを年間約30万個製造している。ホームセンターや量販店向けの製品をつくるほか、ビームスジャパンや中川政七商店などの企業からの依頼も受ける。
しかし、当の酒井さんはもともとサラリーマンで、「安定した会社員の仕事を一生続けると思っていた」という。一体なぜ「儲からない」といわれるわら細工の世界に飛び込んだのだろうか? 山々に囲まれたのどかな田園風景が広がる飯島町を訪ねた。
アメリカ横断ウルトラクイズに憧れて
酒井さんは1975年、長野県下伊那郡のサラリーマン家庭に生まれた。果物の生産が盛んな地域で、りんごや梨畑を駆け回ってサバイバルゲームをするような活発な少年だった。
「家にいるよりずっと外で遊んでいた」という小学生時代の酒井さんが憧れたのは、テレビ番組の「アメリカ横断ウルトラクイズ」。ビデオに録画して答えを暗記するほど熱中した酒井さんは、「いつかこの番組に出たい」と、予選が行われる東京に思いをつのらせた。
しかし、上京して日本大学に進学した後に、すでに放送が終了していることを知る。番組に出ることだけを目標にしていた酒井さんは途方に暮れ、「4年間何をしよう」と悩んだ。いっそのことひとりで自転車横断をしようかとも考えたが、サバイバル技術を何も持っていなかった。大学に探検部があることを知った酒井さんはすぐに入部し、毎週野宿をするような生活のなか、1年間で技術を身につけた。
大学2年生の夏休み、先輩と2人で念願だったアメリカ横断を決行する。サンフランシスコからニューヨークまでの約6000キロを60日かけて自転車で旅をした。テレビ番組を見て以来、ずっと憧れていたニューヨークに到着して自由の女神を見た時は「感無量だった」という。


