相撲関係者からかかってきた電話
転機となったのは2018年6月。突然、相撲関係者から「土俵はつくれますか」と、電話がかかってきた。
最初はまったく信じられず、「新手の詐欺かな」と思ったという酒井さん。半信半疑だったが、7月の名古屋場所に来るよう言われ、関係者口から入って話を聞いて、やっと「本当の話だった」と実感した。
くわしく話を聞くと、年6回ある本場所の土俵づくりはすべてひとりの職人が担っていたが、病気で倒れてしまったという。跡継ぎもおらず、全国で土俵づくりができる人を探していたところ、米俵マラソンの存在を知り、酒井さんに連絡したのだ。
酒井さんは土俵そのものはつくったことがなかったが、この時点で8人の職人を育成していた。米俵マラソンでつくった米俵は、参加者にプレゼントしていたため、毎年製作する必要がある。そうすることで、米俵をたくさんつくるきっかけにしようと考えていた酒井さんは、職人の育成にも取り組んでいた。米俵マラソンで培った体制が、大相撲の土俵づくりができる土台にもなったのだ。
悪夢にうなされ、眠れない日々を過ごす
土俵づくりを請け負うことになったが、まずは作り方を覚えなければいけない。職人は病状が重く動ける状態ではなかったため、土俵を送ってもらい、それを見ながらつくり、送り返して電話でダメ出しをもらうことを何度も繰り返した。今までつくってきたわら細工と基本は同じだったため、土俵づくりにも応用がきいたという。
なんとか土俵はつくれるようになったが、本場所には66俵、巡業や相撲部屋には24俵が必要だった。巡業はほぼ毎日のようにあるので、休みなく土俵を送らなければならなかった。酒井さんは2日に1回しか睡眠を取れず、土俵を作り続けた。
「寝てしまうと夢を見るんです。僕が土俵の真ん中に座って、関取衆に取り囲まれて『お前のせいで相撲が取れなかった』って責められる。冷や汗をかきながらパッと目が覚めるんですよ。もう寝るのが怖かったです」
大きなプレッシャーを感じながら、無事に11月の九州場所の土俵をつくり終え、テレビで見た時は、「宙を浮くような、ふわふわと夢を見ているような感覚」だったという。以来、わらむでは現在も継続して相撲の土俵づくりを一手に担っている。

