妻から言い渡された「一生おこづかいなし」
しかし、わら細工はかけた労力に対して賃金が安い場合が多い。そのため、安い外国産に負け、職人の高齢化が進み、全国でも数十人まで減っているのが現実だった。「その状況のなか、わらで起業して食べていけると思っていましたか?」と聞くと、酒井さんはにこやかに答えた。
「思ってたんですよ。国内に神社はたくさんあるし、しめ縄やしめ飾りは絶対に必要なので需要はある。いつか必ず日の目を見る時が来るって思ってました」
しかし、需要はあっても技術が足りなければ話にならないと考えた酒井さんは、「1日の睡眠は3時間以上取らない」というルールを自分に課して、ひたすら練習に明け暮れた。
米俵マラソンの米俵をつくること以外はほとんど仕事がなかったため、新聞配達やソフトクリームの販売など6つのアルバイトを掛け持ち。当時、子どもは2人ともまだ小学生で、仕事を勝手に辞めたことを怒った妻からは「一生おこづかいなし」と言い渡されていた。
周囲の「頭がおかしい」への反骨精神
酒井さんを突き動かしたのは、消えかかっているわら細工の文化を残したいという思いだけではなかった。
「周りから『頭がおかしい』とか散々言われたので、反骨精神ですよね。今やめたらそれこそ笑いものだなと。もうやるしかない、自分がへこたれちゃいけないと思いました」
周囲からネガティブな言葉をかけられたが、酒井さんにわら細工を教えてくれた先生は、起業することに対して何も言わなかったという。その後も継続して技術を教えてくれたり、わらを提供してくれたりしながら、苦しい状況にいた酒井さんを支え続けた。

