米俵をつくれる農家がいない
「農家ならみんな当たり前に米俵をつくれると思ったんですが、何軒まわっても誰もつくれないことがわかりました。僕は農家出身じゃないから、その状況を知らなかったんです」
インターネットで調べると、米俵1俵は約9000円で売られていた。大会の参加費は2000円。50人分で35万円の赤字になってしまう。おこづかい生活のサラリーマンにとって、まずい状況だった。
酒井さんは「自分でつくればタダだ!」と思い立ち、近所にわら細工職人がいることを知り、弟子入り。2カ月後の大会に間に合わせるため、土日は職人のもとで学び、平日の夜は家で練習する日々を過ごした。徹夜しながらなんとか50俵をつくり、2013年、米俵マラソンを無事に開催した。この大会は飯島町の名物となり、今も継続している。
食肉加工の職人として働いていた酒井さんは、手を動かすことが好きだった。新しいわら細工の技術を覚えることは純粋に楽しく、わらの歴史も興味深かった。諸説あるが、日本には約5000年前からわらが存在するといわれ、古事記にもその記載がある。
「すべての神事は米につながるという言葉も聞いたことがあります。米が子どもだとしたら、わらが親。米を生み出すわらにはものすごいパワーがあり、神様の宿る草ともいわれるんです。いい使い方をすると、いい神様が寄ってくると」
神社のしめ縄は、神様の通り道だと考えられている。わらの歴史や伝統にも愛着を感じ始めていた酒井さんだが、先生には跡継ぎがいなかった。「日本からわら細工の文化がなくなってしまったら、すごい罪悪感を覚えてしまう」と、わら細工サークルをつくった。しかし、趣味の活動ではいまいち熱意に欠け、技術も向上せず、最初は20人いたメンバーも次々と抜け、最後には1〜2人になってしまった。
一生、会社員のつもりだったが……
ちょうど同じ頃、勤めていた食肉加工の親会社で偽装事件が発生。器用な酒井さんは会社からも認められ、将来は跡取りとしても期待されていた。しかし、会社は倒産し、状況は一変した。
「土日休みで残業代もしっかり出て、安定した仕事って素晴らしいなと思っていました。一生そこで働くつもりだったんですよ。でも、会社がなくなってしまって、人に人生預けとったらダメかなと思いました」
しばらくは親会社で働いたが、「サークル活動では次に続かない。しっかり仕事として食べていけるようにしないとこの文化が消えてしまう」という思いがつのっていた。そして2015年、酒井さんは会社を辞めて、合同会社南信州米俵保存会(わらむの前身)を立ち上げた。


