スバルの前身は、戦前に「東洋一の航空機メーカー」として戦闘機を開発していた中島飛行機だ。戦後に解体されたが、航空機エンジニアの思想は今も社員に受け継がれている。ノンフィクション作家の野地秩嘉氏が、耐久レースの現場を訪れた——。
「私たちが造っている車は丈夫で長持ち」
2019年9月のある日曜日、SUBARU(以下、スバル)の代表取締役社長、中村知美は宮城県にあるサーキット、スポーツランドSUGOに来ていた。自動車耐久レース、スーパーGT第7戦の決勝に参加するためだ。
耐久レース(エンデュランス)とは長距離・長時間を走行するレースで、その日に行われたレースは3704mの周回コースを2時間で何周できるかを競うものだった。スバルの車はSUBARU BRZ R&D SPORT。トヨタと共同開発したトヨタ86とは兄弟車にあたる。
サーキットでジャーナリストに囲まれた中村が話していたのは「雨のなか、これほど多くの方々に来ていただいて本当にありがたい」ということ。
「社長に就任する前からレースには来ているのですけれど、いつもいつもお客様が来てくれることが嬉しいしありがたいです。私たちが造っている車は丈夫で長持ち。次々と新車を出している会社ではないのに、応援していただいて本当に感謝しています。
もちろん、モータースポーツをしっかりと支えていこうと思っています。昔からずっと続けてやっていることですし、やるからには勝たないといけない。なんといっても、うちには、根強いファンがいっぱいいらっしゃる。ファンの方たちから元気を与えていただき、私たちもファンの方たちに元気をお届けする。そういうふうにしていきたいと思っています」