東京は107の河川をもつ「水の都」だ。その姿は徳川家康が整えた。江戸に入府した家康は、まず河川工事から街づくりを始めている。オラガ総研の牧野知弘代表は「そこには3つの理由がありました。水は重要な資源であると同時に、大きなリスクもあるからです」という——。
※本稿は、牧野知弘『街間格差-オリンピック後に輝く街、くすむ街』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
都内には107の河川がある
東京の地図を広げてみて目立つのは、都内を流れる多くの川、縦横無尽に走る道路と鉄道、そしてその間に広がる住宅や商店、学校です。とりわけ目につくのは東京とは非常に「水」に恵まれた都市だということです。
東京都内には現在、一級河川として多摩川水系、利根川水系、荒川水系、鶴見川水系という4つの水系があり、この水系を中心に92の一級河川が展開しています。これに二級河川を含めると、都内にはなんと107もの河川が存在しているのです。延長距離は858kmにも及んでいます。
しかし東京の河川は、もとからこのような水系だったわけではありません。現在の水系が整ったのは1962年に新中川が完成したときであり、その完成をもって、今の東京の基本形ができあがったと言うべきでしょう。
江戸幕府を築いた徳川家康が入府したのは1590年(天正18年)ですが、当時の水系は渡良瀬川が直接江戸湾に流れ込んでいました。利根川も現在のように銚子に流れてはおらず、荒川と合流し、江戸湾へ流れ込んでいました。さらに隅田川は、入間川の最下流部分として位置付けられていたのです。