東京は「水の都」として蘇りつつあった
江戸時代から引き継がれてきた河川や運河は、明治時代となり、江戸がその名を東京に変えてからも、清潔に保たれてきました。東京の人々は水に親しみ、水を大切にして生きてきたのです。まさに東京は「水の都」でした。
ところが太平洋戦争の勃発で東京は空襲を受けて、大量の瓦礫が運河や河川に投棄され、戦後には多くの工場から廃液が流れ込んだことから、清廉な水辺は黒く淀み、川岸は無機質なコンクリート壁の堤防になって街と川との間に立ちはだかることになります。
私は中央区築地明石町で育ちましたが、子供の頃の情景とは、まさにこの黒く淀んだ隅田川と運河の光景です。
その後、公害問題がクローズアップされるのに従い、工場の廃液や家庭排水に対して厳しい環境規制が施され、川の水はきれいになり、魚が泳ぐまでに回復しました。
街と川を分断していたコンクリート堤防も壊され、スーパー堤防に整備されるなどした結果、水辺は再び人々の憩いの場へ戻っています。つまり、東京は「水の都」として蘇りつつあったのです。
そのようななか、先日やってきた台風19号によって日本各地が大きな被害を受けることとなりました。そして東京でも多摩川が氾濫するなど、ややネガティブな意味で河川にふたたび注目が集まっています。
津波や液状化の被害から逃れがたい東京東部の低地
あくまで不動産屋としての目で見れば、川や運河沿いの街はマイナスポイントがあるのも事実です。
特に東京東部の低地は、もし直下型の地震などに襲われて津波や土地の液状化が起きた場合、その被害から逃れることは難しいエリアです。地盤も高台に比べて軟弱なので、建物に対する被害も大きなものになることが予想されます。
生活利便性という意味でもマイナスポイントはあります。
そもそも川や運河は陸路を塞いでしまうので、たとえば商業施設の立地などは、川の存在で商圏を分断されることを嫌う傾向があります。だから大型の商業施設が川沿いに作られることは少ないのです。また川を越えるためには橋を渡ることが必要になる場合がほとんどのため、川沿いの住宅地はどうしても交通利便性が落ちてしまいます。
さらにその制約から、駅も作りにくい立地にあります。そのため川沿いや運河沿いの物件は、自然と駅から遠くなる傾向があります