約2000年前の中国。中原を駆けた男たちは、それぞれの夢を追い、やがて死んでいった――。彼らのドラマはなぜ私たちを魅了し続けるのか。北方謙三氏は『三国志』(全13巻)で、前例のない人物描写に挑み、高い評価を得た。氏は英傑の生き様からなにを読みとったのか。

劉備●161年生まれ。字は玄徳。黄巾の乱では関羽・張飛らと義勇軍を結成。鎮圧に功績を挙げ一旦は公職に就くが、やがて出奔。その後は各地を転戦し、流浪生活は24年も続いた。享年63。後継は嫡子の劉禅とし、補佐を諸葛亮に託した。
日本の三国志ファンになじみ深い吉川英治の『三国志』で描かれる劉備玄徳は徹底して「徳の将軍」である。
貧家の生まれで筵(むしろ)を織って生計を立てていたが、前漢の皇帝・景帝の子、中山靖王(ちゅうざんせいおう)劉勝の末裔という漢王朝の血筋にある人物で、漢(かん)帝室の再興を志す。その尊皇の志をよしとして、関羽、張飛や諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)をはじめとする人材が配下となり、長き流浪の末に「蜀(しょく)」という国を打ち立て帝位に上る。正式な国名を「蜀漢(しょくかん)」と称して、正当な王朝は漢であることを示して「徳の将軍」の世評をさらに高める――。こうした描かれ方は、漢の帝室への尊崇の念を持たず、自らの覇道(はどう)を驀進し、「乱世(らんせ)の奸雄(かんゆう)」と形容された曹操とはまったく対照的だ。
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