ここ10年、ITに代表されるエンジニアリング的な効率性と画一性を追求する知性が、世界を牽引してきました。しかし一向に日本の自殺者が減らない事実が示すように、こうした知性は生きる意味を導いてはくれません。逆に情報環境が豊かでオープンになるほど、生きる目的、その意味と価値がわからなくなる。だから50代を迎え、社会的に成功を収めても、何か物足りない気持ちを持つ人が多いのではないか。そう思い、生きる意味を問う思想・哲学に関する書物を選びました。

<strong>姜尚中</strong>●1950年、熊本市生まれ。熊本県立済々黌高等学校卒。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。国際基督教大学准教授を経て、現在は、東京大学大学院情報学環教授。専攻は政治学と政治思想史。悩みを手放さず、真の強さをつかむ生き方を提唱した『悩む力』(集英社新書)は、80万部を突破。『在日』『愛国の作法』など著書多数。
姜尚中●1950年、熊本市生まれ。熊本県立済々黌高等学校卒。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。国際基督教大学准教授を経て、現在は、東京大学大学院情報学環教授。専攻は政治学と政治思想史。悩みを手放さず、真の強さをつかむ生き方を提唱した『悩む力』(集英社新書)は、80万部を突破。『在日』『愛国の作法』など著書多数。

今、これほど読まれるべき本はないと思うのが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』です。経済、営利、マーケットとは何かという問題を、倫理や価値と結びつけて明らかにしたこの名著は、人が経済活動を営むモチベーションに焦点を当てています。

ビジネスマンだったら昇給や出世、それに伴う達成感などが一つのモチベーションになるでしょうが、プロテスタンティズムの場合、宗教的な意味によってモチベーションが与えられる。この信仰心を持ちながら営利活動に励むことほど、強いエネルギーを持つものはありません。しかし、そうした宗教的な動機がなくなったとき、すべての営利活動はスポーツのようにゲーム化するのだとウェーバーは説きます。

もし営利だけを目的に働いていると、どうなるのか。どこかで感性がスポイルされていく。さらに資本主義が究極まで行き着いたときには、人間の本来持っているモチベーションのある部分を歪めなければ、そのゲームに対応できなくなるとウェーバーは予測しました。彼の言葉を借りるなら、「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無なるものが跋扈する」のです。現在の世界で起こっている現象を、彼が予見したのは100年前のことです。世紀末から20世紀初頭にかけて、資本主義が大きく変質した時代に生きたからこそ、本質が見えた。一体、何のために経済活動が存在するのか――。この本は我々の働くモチベーションを考え直すいい手立てになると思います。

同じくウェーバーによる講演録『職業としての政治』は、政治の問題を、人間、つまり政治家の問題としてとらえた本です。政治家に必要な資質は、1つが見識、2番目が信条で、3番目に責任。この3つを備えて、権力過程と政策過程に邁進できる人間こそが政治家に相応しいといいます。今、日本では、政治の立て直しが最大のテーマとされ、企業や学校、いたるところでリーダーシップが問われています。問題をリーダーシップに敷衍して読めば、万事に通じる内容が記されています。