なぜオフサイドは反則なのか? 歴史から紐解く
オリンピックやワールドカップなど、現代において「スポーツ」ほど世界中に流通している文化はありません。地球を覆っていると言っても過言ではない。グットマンの『スポーツと帝国』は、近代スポーツが民族も言葉も違う世界各地に伝播・普及していった過程をきちんと綴っています。
さらに、「スポーツとは何か」を歴史・文化という側面からアプローチすると、よりその本質を愉しめます。
中村敏雄さんの『オフサイドはなぜ反則か』は、中世イギリスの地方で、時に500人対500人もの大規模集団が、牛の膀胱を膨らませた“ボール”を蹴り合っていた史実にまで遡ります。殺伐としながらも、数日間に及ぶれっきとした祭りですが、相手側の村の教会までボールを運べば終わってしまう。そこで、短時間に終わらせないことが暗黙の了解となり、敵陣地に先乗りする行為は“ルール違反”となった。
「待ち伏せは卑怯だから」といった薄っぺらな理由ではありません。中村さんの著作には、ぜひ一読をお薦めしたい作品が山ほどありますよ。
もう一つが稲垣正浩さんの『スポーツを読む』。これは古今東西のスポーツに関する本を選んで解説した本です。例えば、『日本書紀』のくだりでは、中大兄皇子と中臣鎌足が打くゆる鞠まりというホッケーのようなスポーツのプレー中に蘇我入鹿の暗殺を企てる、という有名な場面も出てきます。『イーリアス』からは古代オリンピックの話を。当時のギリシャは紀元前ですから、オリンピック開催後の4年間を「オリンピヤード」と言って、それを起点に年号をカウントしていたのです。これなんか、スポーツが日常に根ざした非日常であることを端的に示しています。
そう、スポーツって「祭り」なんですよ。だからブラジルで2014年にワールドカップをやるって話で、治安を不安がる人もいるけれど、「リオのカーニバルをやってるから大丈夫」と言われると、「なるほどな」と妙に納得してしまうわけです(笑)。