優れた東京論として私は漱石の『三四郎』を薦めたい
日本を理解する一番の早道は、一極集中する東京を考えることです。その優れた東京論として、私は漱石の『三四郎』を薦めたい。建てては壊し、壊してはまた建てる東京。この都市で、生きる意味や価値を求めて迷う小川三四郎と青年たち。その姿を通し、帝都東京とは何なのかを漱石は問います。
20世紀初頭、日露戦争に勝った日本は、これから隆々と上昇していく機運に満ちていました。しかし漱石はそれに同調しませんでした。むしろますます東京全体が巨大な迷宮になっていくように感じたのではないでしょうか。今も社会経済が乱調する中、東京というメトロポリタンで、若い世代は大望を持ちながらも迷いながら生きている。
実は、私も同じ熊本から上京し、三四郎的に生きた時代がありました。この本を50代の人が読めば、三四郎の年齢に近い自分の子供たちに思いを馳せるかもしれない。その中には東京で生まれた人も、上京して東京に残る人もいるでしょう。100年前に書かれた本ですが、内容は現代の東京に通じて、多くのことを考えさせられます。
最後に『それでも人生にイエスと言う』をあげましょう。ユダヤ人である作者のV・E・フランクルは、幸福は結果で、人間は幸福を求めるのではなく意味を求める存在だと主張します。彼は大戦中、アウシュビッツに強制収容され、せめて人間的に悩んで生きたいと願いました。それは同じ収容所にいた自分よりずっと体の健壮なユダヤ人が、生きる意味を求めなくなった途端、死んでいくのを見たからです。つまり重篤の患者でも、最後まで生きる意味を失わなければ、告知された余命よりも長く生きられる可能性はある。意味の探求が人間を支えてくれる、と。
50代になって、ゼロからやり直すのは難しいことです。
自分が今までやってきた蓄積は、守って肯定したいですから。しかしその一方で、生きる意味という問題の原点に返って、もう1回自分の人生をシャッフルすることも大事な気がします。私だってもう少し体が強かったら、漁師になりたいと今でも思う。周囲から「バカなことを」と言われようとも、自分が意味のあると思うことをやりたい。人生には絶対「ノー」なんてない。どんなことがあっても「イエス」と言う。そのことを教えてくれるこの本は、もし閉塞感に陥っている人がいたら、ぜひ手に取ってもらいたいのです。