昔は「子供がマンガを読むと馬鹿になる」という家庭が大多数でしたが、ウチはちょっと変わっていました。
僕が幼稚園児の頃、父はラジオ東京(現TBSラジオ)の初代音楽部長で、ドラマのBGMをつくったりしていました。原作を連載した「少年」や「少年画報」「冒険王」といった月刊マンガ誌を関係者が置いていくんですが、それを家に持ち帰ってくれた。
当時は『鉄腕アトム』『鉄人28号』『赤胴鈴之助』『矢車剣之助』などが連載されていた黄金期で、2人の兄貴と奪い合いながら読みました。持ち込んだ張本人がおやじだから、マンガはダメとは言えなかったんです(笑)。
確か小学2年のときだったと思うけど、兄弟で買ってもらってた月刊の「小学4年生」「楽しい3年生」なんかが、創刊間もない「少年サンデー」や「少年マガジン」に切り替わりました。1冊30円とか40円だったけど、毎週買っても総額では月刊と変わらないからと、すぐ上の兄貴が母と交渉したんです。以来、現在に至るまで週刊マンガ誌を1号たりとも読み逃がしていないのが僕の自慢です。
当時から、周囲が平然と「マンガを読むヤツはダメだ」などと言うから、なんかわかんないけど燃えましたね。
「じゃ、おまえ読んだことあんのか」って。小5のとき、国語の時間に「なぜ大人はマンガを悪く言うのか」という作文を書くくらい、僕はマンガの味方だったんです。その反骨精神が後年エレキギターにも飛び火するんですが、小説などはあまり読まなかった代わりに、文字もマンガで覚えたし、感動すること、何かに夢中になること……とにかく全部をマンガから貰っています。
その何分の1かは、間違いなく手塚治虫さんです。手塚さんの作品の多くは一見、子供向けに見えて、実は圧倒的にストーリーで読ませる社会派。『0(ゼロ)マン』は何つったって、小学生の頃に本当に夢中になって、単行本が揃っていた床屋さんに頑張って通ったほどですよ。当時は気付かなかったけど、これは人種差別の話なんです。それを人間と、リスに似た別の知的生物との話に置き換えてるんだけど、うまく描いてるんだなあ、本当に。『火の鳥』はずばり、生命の神秘を描いちゃう。生物の個々の細胞の中には深遠なる宇宙的世界が広がり、逆に果てしない宇宙空間には細胞同様の緻密な秩序がある……って意味の記述がある。マクロとミクロは実は同じ、という生命観・宇宙観は凄いですね。
ゴダイゴが音楽を担当した映画版『銀河鉄道999』と近い時期に、『火の鳥』もアニメ映画化されたんですが、実はこちらも当初、音楽にゴダイゴが指名されてたらしいんですよ。結局、僕の耳に入らぬまま別の音楽家にいってしまったけど、いやあ、やりたかったなあ。
「プレジデント」の読者が読んでなさそうだと思って挙げたのが『シュマリ』と『きりひと讃歌』。『シュマリ』は明治初期、男と駆け落ちした妻を北海道まで追ってきた元士族が主人公で、その名のシュマリとは狐の意味。アイヌの土地が“和人”の近代国家に蹂躙される様も描かれます。『きりひと讃歌』は、大学付属病院の若き医局員が主人公。ある地域で顔が犬のように変わる風土病が流行り、上司にその地への赴任を命じられた主人公が病にかかってしまう。医療界の権力闘争や差別問題など、『ブラック・ジャック』とは違う醍醐味があります。
僕が子供の頃にはもう、手塚さんは“マンガの神様”でした。知的なマンガをガンガン描いてたから、知識に飢えた子供とか、藤子不二雄さんみたいな漫画家志望の人たちが夢中になった。『ドラゴンボール』や『スラムダンク』みたいにキャラクターが先行する今のマンガの読まれ方とはちょっと違っていた気がします。世の中知らないことがまだまだいっぱいあるぞ、というか、考え方や知識をずいぶん貰いました。『シュマリ』と『きりひと』だけでもぜひ読んでいただきたい、というより読むべきだ、とすら思いますよ。