お薦めしたいのは、スポーツの「核心を突いた」著作です。核心とは、体。体をきちんと描いているか、体に対する認識があるかどうかがポイントです。

<strong>玉木正之</strong>●1952年、京都市生まれ。75年、東京大学教養学部中退。スポーツライター、小説家、音楽評論家。新聞や雑誌で執筆・評論活動を展開するほか、TV・ラジオ番組に多数出演。主著に『スポーツ解体新書』『不思議の国の野球』『オペラ道場入門』、共著『ロマン派の交響曲~「未完成」から「悲愴」まで』他多数。
玉木正之●1952年、京都市生まれ。75年、東京大学教養学部中退。スポーツライター、小説家、音楽評論家。新聞や雑誌で執筆・評論活動を展開するほか、TV・ラジオ番組に多数出演。主著に『スポーツ解体新書』『不思議の国の野球』『オペラ道場入門』、共著『ロマン派の交響曲~「未完成」から「悲愴」まで』他多数。

老漁師とカジキマグロの死闘を描いたヘミングウェイの『老人と海』がその格好の一例です。猛暑のキューバの海上でカジキと大格闘。ロープが背中に容赦なく食い込み、手の平を破く。肉体と技術をフルに使った息詰まる駆け引きが展開されます。

しかし日本のスポーツ小説やノンフィクションは残念ですが、「スポーツをする体そのもの」のリアルな面白さを描いた作品は多くはありません。

逆に、スポーツを一種のエサにして「人間」や「社会」や「時代背景」を主題とした作品が多いのです。「スポーツは筋書きのないドラマ」などと必要以上に選手を美化し、青春や人生の苦悩を描くことに重点を置くため、どうしても情緒偏重になる。“心”や“思い”にこだわりすぎて、“体”、つまり肝心要のプレー、パフォーマンスの中身やその醍醐味はよくわからない。

スポーツ報道で、アナウンサーが監督や選手に「素晴らしい勝利でした。今日の試合はどんな“思い”で挑みましたか?」などと聞くのもこの情緒偏重ゆえでしょう。“思い”などという曖昧な言葉を投げつけるのではなく、例えば“戦略”“戦術”といったチームのプランを伺うための言葉をきちんと選んでこそ、視聴者はより愉しめるはずです。『老人と海』が素晴らしいのは、そうしたスポーツそのものを見る難しさをも象徴的に描いているから。老漁師が仕留めたカジキは曳航する途中でサメに奪われ、持ち帰ったのは巨大な骨だけ。それを見て驚く人々は、オリンピックでプレーそのものではなく金メダルという“残骸”を有り難がる輩と重なります。一番凄いのは「動く体そのもの」であり、プレーが終わればすべてが終わってしまう――そんなスポーツの本質を見事に突いているのです。

こうした尺度でいい作品を選んだのですが、基本的なものだけで倍の40冊は挙げたいくらい。特にアメリカの小説やノンフィクションには、スポーツ本来のプレーの面白さ、奥深さを堪能できる作品が少なくありません。

例えば、『遠くからきた大リーガー』。なんと時速270キロの豪速球を投げるピッチャーがヒマラヤの麓から現れ、ニューヨーク・メッツに入団するという野球小説です。不思議なヒーローがメジャーリーグに大旋風を巻き起こし、球場に観客が押し寄せます。

主人公のシド・フィンチの趣味はホルンを吹くことですが、ホルンは人を呼ぶ象徴であり、人と連絡を取るものでしょう。「ハーメルンの笛吹き男」よろしく、笛吹く人の周りに人が集まってくる。野球というスポーツの本質を、とても象徴的に描いています。

「野球場は曼陀羅に似ている」といった文中の表現や、主人公が発するマントラ(真言)も心に残ります。