「世界で愛されるスゴイ日本」といった論調にだまされてはいけない。アジア各地で日本は中国の後塵を拝し、「しょっぱい国」とみられている。たとえば多大な援助を続けてきたカンボジアでも、中国や韓国の企業が目立ち、日本企業の影は薄い。なぜそうなってしまったのか。ルポライターの安田峰俊氏が、現地のエリートたちを直撃した――。

日本の存在感は私たちの想像よりもはるかに小さい

カンボジアと聞いて何をイメージするだろうか? 往年を知る人なら、1990年代に内戦の収拾にあたった国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)のトップを、日本人の明石康氏が務めた歴史を思い出すかもしれない。カンボジアはその後も、JICAによるインフラや社会制度の支援、島田紳助氏や渡辺美樹氏をはじめ有名人による学校建設など、「援助」の絆で日本と強く結びついてきた。ゆえに当然ながら、現地の人たちの対日感情は良好で、日本の存在感は極めて大きいはずである――。

といった想像は、実は半分は事実と異なっている。多くのカンボジア人が日本に感謝しているのは確かだが、同国における現在の日本の存在感は私たちの想像よりもはるかに小さい。家電用品店では韓国のLGや中国のハイアールばかりが並び、電子ガジェット市場もファーウェイやZTE(中国)、サムスン(韓国)などの独壇場だ。プノンペンの街角のシティホールや大統領官邸・スタジアムなどはいずれも中国の支援で建設され、中国銀行や中国工商銀行の支店が中国国内さながらの様子で多数軒を並べている。

中国が建設したシティホールと、謎のウサギのオブジェ。プノンペン市内Koh pich地区で。

なかでも特徴的なのは、プノンペン市内南東部のKoh pich地区だろう。ここは街全体が中国系企業(一部、カンボジアや第三国の華僑資本も含む)が開発した「中国島」になっており、パリの凱旋門を模したオブジェなどド派手な建築物の工事が続々と進行中である。大量の高層マンションと数百軒の欧風別荘の建築工事も進み、中国国内で派手な投資ができなくなった中国人富裕層が不動産の「爆買い」に訪れている。Koh pich地区ではクメール文字よりも簡体字が幅をきかせ、さながら雲南省あたりの街に近い雰囲気が漂う。

アメリカ留学の経験があるエリートを直撃

昨年に某誌の取材でカンボジアを訪れた私は、プノンペン市内で茂木次男氏という日本人と知り合った。茂木氏は過去の商社勤務を経て、新興国への日系中小企業の進出支援にたずさわる経営コンサルタントである。そんな彼を介して紹介してもらったのが、カンボジア人ビジネスマンのK氏だった。

40代のK氏はこの世代のカンボジア人には珍しい大卒者で、アメリカでの留学歴も持つエリートだった。プノンペンでケミカル分野の企業を経営しながら、政府機関にもポストを持っている(カンボジアではこうした例が多い)。今回の記事では、中国と日本の双方と取引関係がある彼が見た、日中両国の姿をご紹介する。

取材はプノンペン市内で、英語でおこなった。K氏の回答を通訳してくれたのは日本で博士号を取得したカンボジア人のT氏だ。ちなみに文中で言及される賄賂の具体的な金額などは、裏取りが難しい話でもあり、未確認情報が含まれていることを断っておく(ただし、似たような話は複数のカンボジア人や在カンボジア日本人から聞いている)。