教えに反したといえば、製造業への進出もそうです。渥美先生は、本業以外のものをやることを禁じていました。多角化すると人材の「質」と「量」が追いつかなくなり、本業の成長が止まってしまうから。流通業が工場を持つなんて、もってのほかでした。

しかし、私は先生に内緒で家具メーカーのマルミツ(現ニトリファニチャー)を買収しました。マルミツの社長をしていた松倉重仁さんは家具業界に革命を起こそうと頑張っていた人で、私とはいわば「同志」の仲でした。ところが赤字経営で親会社に買収されて解雇されそうになった。そこで急遽、私が出資して傘下に入れました。渥美先生の理論よりも「ロマン(大志)」を優先したわけです。

結果的に、この決断が功を奏しました。ニトリは安くて品質のいい家具をつくるため、94年にインドネシアで生産を始めました。現地で中心になったのが松倉さんたちです。いまはベトナムにも立派な工場があります。

渥美先生には内緒にしていましたが、さすがにバレてしまい、先生をベトナムの工場にご案内しました。すると思いのほか褒められて、ペガサスクラブの会報誌にも成功事例として載せていただき、心底うれしく思いました。教わるほうも、表面的なことばかりやっていてはいけません。渥美先生のいうことは本質をついているものの、その実践はとても難しい。だから普通の人は、難易度の高い順に5つ並んでいると、5番、4番、3番と簡単なほうから手をつけます。でも、大事なのは1番、2番です。時間はかかりますが、ここをしっかりやってこそ本当の意味で学んだことになるのです。

童話『ウサギとカメ』でいえば、私は鈍くさいカメです。ペガサスクラブでも劣等生だったから、先生の教えを愚直にやり続けるしかありませんでした。逆に器用な人は、5番、4番、3番だけやってわかった気になり、先生のもとから離れていきました。

でも、結局はカメが先頭を歩いています。経営者が勉強するのは先例を学んで時間を節約するためですが、結局、重要なことは時間をかけて実践しないとわからない。これからも渥美先生から教わったことを大事にしながら、一歩一歩進んでいく考えです。

ニトリHD会長 似鳥昭雄
1944年、樺太生まれ。66年、北海学園大学経済学部卒業、67年、似鳥家具店を札幌で創業、72年、似鳥家具卸センターを設立、78年、ニトリ家具へ、86年、ニトリへ社名変更、2003年、100店舗、年間売上高1000億円を達成、10年、持ち株会社に移行し、13年、300店舗を達成。
(構成=村上 敬 撮影=柳井一隆)
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