幼い頃は親のヤミ米屋の手伝い、高校入学も大学編入も裏ワザを企て、大学時代は取り立て屋。入社した会社では仕事をさぼりパチンコ。ドン底からいかにして逆転したのか。
どんなバカでも成功できる
私、似鳥昭雄の半生はやはり多くの人にとって刺激的なものらしい。日経新聞の名物コーナー『私の履歴書』に、今年4月から1カ月間、私の文章が連載された。私の歩んできた道をありのままに語ったところ、ありがたいことにたくさんの反響をいただいたのだ。
小学校の頃に自分の名前を漢字で書けなかったこと、外部から招き入れた人材に会社を追い出されそうになったこと。そういったエピソードの数々は、ニトリの社員たちにとってみれば、耳にタコができるほどに聞かされた話だが、世間の「成功した経営者像」とはかけ離れている。
それらは、私が語らなければ世に知られることがなかったり、もうすでに忘れられていたことであるかもしれない。上場企業のトップが、自ら醜聞を披露するというのは、通常ならありえない。似鳥昭雄は、隠しておくべきことと表沙汰にしていいことの区別がつかないのではないか、そう思われた人もいることだろう。
確かに私は普段から、自分を着飾ることもごまかすこともしない。そんなことをしても、必ずボロが出るからだ。うそはつけないし、つかない。だからといって、生来の性格に任せて書き散らしたのではないということをお伝えしておきたい。
日経新聞はビジネスマンにとって、バイブルのようなものだ。志を持ったビジネスマンならば、読まない人はいない。そこにあえて赤裸々に失敗の歴史をつづることで、励まされる人が必ずいるに違いないと私は考えたのだ。
私は実になまけものだ。父親の会社で働くのが嫌で家を飛び出したし、起業してからも、さぼってパチンコに精を出すこともあった。学がないのは、自分でも認めるところだ。ことあるごとに、みずからを「バカ」呼ばわりする私だが、そんな私でさえ、志(ロマン)を持ち、妻に恵まれ、師に恵まれ、仲間に恵まれ、チャンスに恵まれることで、ここまで来ることができた。
世の中を見渡すと、私以上に頭がよくて、まじめなのに、伸び悩んだり、くすぶっている人がいくらでもいる。そんな人たちにうまくいった体験だけを語ったところで、毒にも薬にもならない。「あんなバカでもうまくやれたんだから」と、自信を持ってもらえる話を伝えなければいけない。私自身、ニトリの成功は、自分の力で成し遂げたとは思っていない。運が8割だ。
そのことを知ってもらうために、連載はずいぶん工夫をした。担当編集者と話し合い、1回の中にも起承転結を入れ、さらに次の回でいったいどんな驚きの展開が待っているのか、と期待してもらえるようにした。また、周りの人のおかげで今の私があるのだから、彼らについて書かなければ不公平だ。現役で活躍されている方も多くいるので、細心の注意が必要だった。
苦労したかいあって、多くの人に真意を汲んでもらえていたようで、私も胸をなでおろした次第だ。