先を読む、というのは、頭で考えることではない。ある変化が起こったときに、次に何が起こるかということは、人類の歴史をひもとけば明らかだ。自分の頭に頼ることができないとわかっている私だからこそ、現場での変化を素直に受け止め、歴史に学ぶことができるのだ。

「私は決して強運ではないが、これだけ幸運に恵まれたのは、挑戦し続けたからだ」

記者会見や何か集まりがあって写真を撮るときに、私は必ず「ニトリの『にー』」と言って笑顔をつくる。これだって、「いい年の男がみっともない」と思う人もいることだろうが、私に「立派な経営者像」は似合わない。

朝令暮改も、本来なら避けるべきことだろう。ある朝、何の前触れもなく、「よし、次はこれに挑戦するぞ」と周りに宣言したにもかかわらず、昼前に「やっぱりやめた」と前言を撤回する。社員たちはすでに関係各所に連絡を入れたあとだから大慌てで詫びの電話をかけ始めることになる。

一度宣言したことを即座に覆すのは、周囲を混乱させる。だが、無理に取り繕って経営を傾けるようなことになれば、それこそ一大事だ。そうした朝令暮改が起こるのは、リスクを取っているからでもある。私は成功の見込みが5割を切っていようとも、それが顧客のしあわせにつながるならやるべきだと考えている。それは志があるからだ。

社員も私が示した方向性(志)に共感してくれている。だから、会社でもありのままでいる私に愛想を尽かすことなく、「本当に仕方ない人だなあ」と思いながらもついてきてくれる。そんな社員たちがいるということは、立派ではなくとも、経営者として間違ったことはしていないという証左だと勝手に思っている。

わがニトリには60年計画がある。前半の「100店舗、売り上げ1000億」という30年計画は1年遅れで03年に達成できた。後半の30年は「3000店舗、売り上げ3兆」を目指す。当然ながら、これは世界へのチャレンジでもある。こんな私だが、これから先も幸運に恵まれるだろうか。次の幸運を逃さないために、私はまだまだ挑戦を続ける所存である。

ニトリ会長 似鳥昭雄
1944年、樺太(サハリン)生まれ。66年北海学園大学経済学部卒業。広告会社社員を経て、67年「似鳥家具店」を創業。85年社名を「ニトリ」に変更。2002年東証一部に上場。04年中国に物流センターを開設。07年台湾・高雄に海外1号店を開設。10年持ち株会社体制へ移行し、ニトリホールディングスに社名変更。現在、ニトリ会長、ニトリホールディングス社長。
(唐仁原俊博=構成 村上庄吾=撮影)
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