「営業をやったけど契約が1件も取れなくてね。それで、クビですよ(笑)」
ニトリ社長の似鳥昭雄氏は1966年に大学を卒業したあと、地元札幌で看板広告などを手がける中小企業に就職したが、まったく契約を取れないので解雇されてしまった……。そんな伝説に近い話を聞いていた。それはほんとうなのか。おそるおそる当人に質問してみると、冒頭の答えが返ってきた。
2009年2月期まで22期連続増収増益を続けるニトリ。快進撃のベースにあるのは、高収益をもたらす独自のビジネスモデルと、徹底した市場調査に基づく低価格戦略である。言葉を換えれば、緻密な頭脳と果敢な決断力。これらを遺憾なく発揮するのが創業者で経営トップの似鳥氏だ。
ところが似鳥氏は、ふつうのビジネスエリートとはずいぶん異なる、でこぼこ道の経歴を歩んできた。
終戦1年前の44年に樺太(サハリン)に生まれ、戦後は自由で清新な気風が流れる北の都・札幌で育った。しかし似鳥氏の家庭は、ふわふわした「戦後民主主義」を思わせるものではなかったようだ。親交の深い鈴木孝之・プリモリサーチジャパン代表は次のように表現する。
「なんでも、親父さんがそうとう怖かったらしいんです。なにかというと鉄拳を見舞われたそうですよ」
地元で土建業を営んでいた父に「おまえは役立たずだ!」と決め付けられ、ときに体罰を交えて、厳しく指導されたというのである。