「寮があったので住み込みができる。そうなれば、親父さんの家を出ることができると考えたそうです。入社しても一番下っ端なので、寮ではずいぶんしごかれたようですよ。ただ、怖い親父さんから離れられるなら、それでも構わないという気持ちだったのでしょう」(鈴木氏)
ところが、本人も告白しているようにここでは契約が一件も取れなかった。似鳥氏はダメ社員だったのだろうか?
「同僚には『社長のために命をかける』という奴もいましたよ。でも僕にはそんな気はぜんぜんなかった。だから、最初から何もしなかったんです。契約が取れなくてクビになったけど(笑)。そのときにもし『お客さんのために』とか『社会のために』といってくれたらやる気も出たと思うけど、『社長のため』では、ぜんぜん気合が入らなかった」
と、似鳥氏は述懐する。
「仕事や事業は社会のためにある」という強烈な想いが似鳥氏にはある。いかに人間的に優れた社長であり、居心地のよい会社であっても、世の中のためになっていなければそこに献身する価値はないということだ。つまり、似鳥氏がダメ社員だったというよりも、その会社が「ダメ会社」だったのである。
打ち込むべき仕事がないなら、つくればいい。雇われ者の生活をわずか1年で切り上げた似鳥氏は、その年のうちに「似鳥家具店」を旗揚げする。
「最初はお客さんが来なくてね。インスタントラーメンを箱ごと買って、そればかり食べていたら脚気になってしまったというんです」(鈴木氏)
そこにあったのは「社会のために事業を興す」という気概だけ。若者らしい、実にさわやかな起業であった。
(撮影=尾関裕士)