もちろん、その教育は座学ではなく、あくまでも実学だ。当時の札幌でも「子供にはできるだけ高い学歴を与え、官庁か一流企業に就職させたい」と希望する親は少なくなかった。地元には名門・北海道大学という受け皿もある。

だが、似鳥家の方針は違った。

「あの人は、『自分は裏口専門だから』というんです(笑)。入試の勉強には力を入れなかった、ということでしょう。その一方、学生のころから面倒見がよくて親分肌。つねに何人もの“子分”を従えていたようですよ」(鈴木氏)

事実、大学受験では4年制大学の入試にことごとく失敗し、最初は短期大学へ入学する。そして卒業後に、北海学園大学経済学部へ編入学するという珍しい経路をたどっている。

北海学園といえば、道内に数ある私学のなかで最古・最大であるうえ、系列の北海高校は夏の甲子園に34回も出場した有名校だ。北海道における「私学の雄」といっていい。

だが、学生の多くは道内出身者であり首都圏での知名度はいまひとつ。入試の難易度も北大や東京の有名私立に比べれば格落ちの感は否めない。その地方大学に、短大からの編入というかたちでひっそりと入学したのが似鳥氏だ。ごく控えめに表現しても、華々しい学歴ではない。

しかし、別の面では胆力や決断力を養う次のような経験を重ねていた。鈴木氏が感嘆を交えてこう話す。

「空手をやっていたせいかもしれませんが、似鳥さんはソフトな外見に似合わず気が強いし勇気がある。そしてまったく物怖じしません。大学時代には債権回収のアルバイトをしたそうです。そこで危ない目にも遭っています。出向いた先がその筋の人で、いきなり刃物で切りつけられたというんです。僕は見せてもらっていませんが、そのときの傷跡はいまも生々しく残っているそうですよ」

先に述べたとおり、大学卒業後は小さな広告会社へ入社した。理由のひとつは「父親から離れられる」ことだった。