人工知能(AI)の進化によって自動運転が実現するとか、囲碁や将棋でAIが人間を打ち負かしたとか、AI関連の話題が世間を賑わせている。しかし、大方の人々が関心を持つのはAIによって社会がどう変わるかだろう。評者も幼子を持つ親として、将来の社会環境には大いに関心がある。本書はAIの進化と、それによる社会への影響を経済学者が論じた本である。
著者によると、2030年頃にはマルチタスクをこなす「汎用AI」が登場し、平均的な人間のなしうる仕事の大部分を奪ってしまうという。たとえば「わが社の決算書をつくってくれ」「ホームページをつくってくれ」とAIに命じるだけで、作業がたちどころに完了するイメージだ。上司が部下に命じるような事務作業なら、汎用AIはなんでもこなすことができる。AIが労働者に置き換わる結果、45年頃には、日本では人口の1割ほどしか労働していないかもしれないという。
このことは、経済が成長しないことを意味しない。AIが労働者に完全に代替して機械が生産手段の主力となれば、むしろ効率的に生産が増え、経済は成長する。ただし経営者や株主などの資本家は利益を得るが、労働者は雇用を失い、所得を得る手段を失う。
無論、AIに奪われにくい仕事も存在するであろう。著者がCMHと呼ぶクリエイティヴィティ系(創造性)、マネージメント系(経営・管理)、ホスピタリティ系(もてなし)の3分野がそれである。
15年前(01年)を思い返してみよう。私は就職したてで、職場に1人1台のパソコンが導入された。上司にグーグル検索のやり方を教えたら喜ばれた。まだiPhoneもLINEもなかった。15年経てば社会は激変する。30年の社会が、現在からは想像できないくらい大きく変わっていても不思議ではない。
本書はさらに議論を進める。AIに打倒された大半の労働者階級は飢えて死ぬしかないのか。なんの社会保障もなければそうなるであろう。かといって、人口の9割に生活保護を与えるのか。ならば、最低限の生活費を、国民すべてに保障する新たな制度をつくったほうがよい。ベーシックインカム(BI)と呼ばれるこの考え方は、すべての人に所得保障を行う施策である。
財源はどうするか。基礎年金の政府負担や児童手当、生活保護などはBI導入に伴って廃止。それで足りない財源は所得税の増税による。仮にBI給付額を国民1人あたり月7万円とすると、25%の所得増税で賄える計算だ。
せめてわが子には、AIに奪われそうもないCMHの職業に就かせようか。いや、BIが実現すれば、食べるには困らないから、それも取り越し苦労なのか……。さまざまなことを考えさせられて、興味は尽きない。