「お化け番組」にゆるんだ自制心
部下たちに、言い続けていることがある。「NHKを視たい人もいれば、うちの『報道ステーション』が好き、あるいは日本テレビがいいという人もいる。視聴者は、そういう多様性のなかから、信頼できる番組を選んでいる」。視る人の選択肢と満足度、それを、番組づくりの基本に置く。核となるのは「報道」だ。
素材を選び出し、どう描くか、切り口や発想が大事なことは、前回指摘した。ただ、放送事業者に免許を与える法律にも明記されているが、テレビには報道機関としての基盤がある。ニュースを扱っているからこそ、信頼性が保てる。言い換えれば、ニュースはテレビにとってブランド品。その「ニュースをやる」ということを、ビジネスに置き換えたのが「報道ステーション」だ。
実は、1976年暮れ、入社10年目で制作局へ異動し、「モーニングショー」の番組づくりに加わったことがある。報道局でニュースを扱ってきた身には、異次元の世界。テレビ朝日のモスクワ五輪の衛星中継が決まり、その準備のために八カ月で報道局へ戻ったが、長い番組づくりのなかで異色の経験だった。
その後で、ずっと「モーニングショー」に携わってきた同期生が報道局へ移ってきて、酒を飲みながら、激しい議論を戦わせた。「報道育ちの早河は、ルールは守るし、やりすぎはしない。でも、最初から制作にいた俺たちは、よその家に突っ込んでいき、マイクを突きつけることも平気でやる。では、テレビの表現として、どちらが望ましいか」。相手は、そうぶつけてきた。
よく、覚えている。主張はかみ合わず、批判し合うこと3時間。普通なら、二度と口をきかなくなるようなケンカとなった。先輩が同席していたが、なぜか黙ったまま、止めに入らない。振り返るたびに苦笑いが出るが、いつも、自制心の大切さは間違っていない、と確信している。
そんな「報道」の志が大きく揺さぶられる事件が起きた。40代終わりの93年、政治改革を巡って衆議院が解散され、7月に総選挙となる。自民党は小沢一郎氏ら離党組の影響で過半数を割り、非自民の細川連立政権が誕生する。9月、日本民間放送連盟の会合で、テレ朝の報道局長が選挙報道について報告した。
翌月、その内容を産経新聞が報じる。「自民党政権の存続を絶対に阻止し、反自民の連立政権を成立させる手助けになる報道をしようではないか」との方針で局内をまとめた、という趣旨の発言だったという。国会に証人喚問された報道局長は、報道内容の具体的指示は否定する。ただ、放送法で禁止されている「偏向報道」を行った事実は、認めた。
まさに、自制心の欠如だった。直属の部下である報道局次長として、衝撃を受ける。自分が生み、育てた「ニュースステーション」の批判精神や報道手法が変形し、歪んで膨張したのではないか。そう思っていると、社長に、会社が設けた特別調査委員会に入るように指示される。さらに、翌年9月に放送する検証番組のプロデューサー役も務めた。
その番組を制作したのは、開局35周年の年だった。部下たちに「35年やってきて、テレビ局もいろいろな意味で成長したり、わかってきたりしてはいるが、視ているほうも35年たっている。なめてはいけないぞ」と話す。当時、「ニュースステーション」は20%台の視聴率を維持し、「お化け番組」と呼ばれたほど強かった。それが、報道現場の最高責任者にさえ驕りを生む。
視られていることの怖さを忘れ、視ている人がいることが意識から消えて、自分だけが納得している。そんなケースが増えてはしないか。そうも、問いかけ続ける。
「愚者唯楽其極、智者先懼其反」(愚者はただ其の極まるを楽しみ、智者は先ず其の反らんことを懼る)――愚かな人は、繁栄が頂点に達し、やがて衰退していくのにもかかわらず浮かれ騒ぐ。優れた人は、繁栄を迎えても、何よりも先ずそれが反転することを危ぶみ、行いを慎む。そんな意味で、中国・明代の処世の書『呻吟語』にある言葉だ。物事がうまくいってときこその戒め。高視聴率に「調子に乗ってはいけない」と説く早河流は、この教えに重なる。