8月の内閣改造で安倍晋三総理から農水相として入閣打診があったが断り、反旗を翻した。2014年9月の内閣改造でも、仲間から「安倍(総理)から離れて次の準備をしろ」と言われていた。しかし、内閣に閉じ込めておきたい安倍総理の思惑を知りながら地方創生担当相として入閣した。だが今回は、次の総理を目指して戦う腹を固めたようだ。

前地方創生担当相 石破 茂(AFLO=写真)

安倍総裁の任期延長論には、「今、議論すべきことではない」と反論。今後の発言については、「政府の権力と違う立場から緊張関係を持たせることが民主主義には大事」と挑戦的だ。「総理は命を刻む仕事。だけど逃げてはいけない」と狼煙を上げた。

参議院議員だった父・二朗氏が1981年に死去し、田中角栄元総理が葬儀委員長を務めた。当時銀行員だった石破氏が、お礼に目白の田中邸を訪ねた際、「次はおまえが出ろ」と言われた。躊躇していると、「日本で起こるすべてのことは、この目白で決まるんだ」と机をドンと叩かれ決断させられた。直後に田中派事務局の職員となり、86年に初当選を果たす。

しかし、93年に小沢一郎氏が主導した政治改革に賛同し離党。その後復党するが、「裏切り者」のレッテルがついて回る。さらに致命的なのは、政策通だが「理屈ばかりで、つきあいが悪い」という批判。12年総裁選の敗因もこれに尽きる。「石破には発信力がない」と首相周辺はたかをくくる。見識は十分だから、あとは「清濁併せ呑む」人間力をつけたい。人と飲んで、食べて、頭を下げることが石破氏にはどうしても必要だ。

 
前地方創生担当相 石破 茂(いしば・しげる)
1957年生まれ。79年慶應義塾大学法学部卒業後、三井銀行(現三井住友銀行)入行。86年衆議院議員初当選。防衛相、農水相などを歴任。当選10回。
(AFLO=写真)
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