5年間で4630人の子どもが参加した
【三宅義和・イーオン社長】2011年、私たちが忘れてはいけない、風化させてはいけない出来事がありました。3月11日に起きた東日本大震災とそれに続く福島第一原発の事故です。あの当時は東京にいる私たちもそうですが、電気がつくのは当たり前ではない、電車が動くのは当たり前ではないのだということを実感させられました。
ところが、吉田先生たち教育支援協会は、震災間もなくの5月には「ふくしまキッズ」として知られるようになる被災地の子どもたちへの支援活動の準備に入っていました。その夏には、原発事故の影響で、外で自由に遊べない子どもたちのための「北海道林間学校」が開催されるというスピードぶりですが、どのような経緯で活動を始められたのでしょうか。
【吉田博彦・教育支援協会代表理事】実は、あのような大きな震災時に日本のNPOが動いたのは初めてです。1995年の阪神・淡路大震災のときには、日本にはまだNPOの制度がありませんでしたから。東日本大震災で福島第一原発の事故が起きたとき、私たちが気づいたのは、あの福島の発電所の電気は自分が住んでいる首都圏に送電されているということでした。つまり、我々の電力を福島に押し付けてきたということです。これは福島県の人たち、子どもたちに対して責任を取らないわけにはいかないということで、「ふくしまキッズ」の活動をやることにしました。
事故発生直後の3月の終わりぐらいまでは、文部科学省も福島の子どもたちの疎開を考えていたようです。私たちも、北海道の教育委員会の関係者に「どれぐらい引き受けてもらえるのか?」と打診していたところ、政府は県内での学校再開と言い出したわけです。それではと、4月の段階で福島の子どもたちを、私たちがこれまでやってきていた北海道でのキャンプに受け入れられないかという案を立てました。5月17日に北海道に有志が集まり、実際に可能なのかどうか、費用がどれだけかかるのかという検討に入りました。
【三宅】いくつもの支援団体が参加しているので、まとめるのに苦労されたでしょう。
【吉田】みんなの意見が違うっていうのは世の中の常です。しかし、だから自分たちだけでやっていては、小さなことしかできないんです。社会の運動であるとか、公的取り組みをするときには、どれだけの人間が連携・協力できるかということに尽きます。その意味で、小さな組織同士がうまくつながっていって大きな運動体になる。これこそがNPOの基本なんです。まず「ふくしまキッズ」の実行委員会を発足させて、教育支援協会で寄付を受け付けるのではなく、実行委員会でもらって、そのお金は別会計にしました。最初に動いたのは北海道の8団体、最終的には全国で48団体。ボランティアの人たちは4万人近くになりました。
2011年夏の活動では、小中学生を対象に200名募集したところ、開始直後にサーバーがパンクしてしまい、これはまずいとさらに定員を増やすことになり、色々なところにも引き受けてもらったのですが、結局我々が引き受けたのは、40日の長期期間の引き受けを希望する518名になってしまいました。この活動はその後、北海道だけにとどまらず、関東から、中部、近畿、四国、九州まで、全国各地に広がっていきました。
そこでは、現地で活躍するNPOや官民の有志が中心になり、学生や地域の皆さんがボランティア活動をしてくれた。また、多くの著名人が支援委員や特別賛同人としてサポートしたほか、国内だけでなく海外からも多くの寄付金が届けられました。結局、5年間で4630人の子どもたちが参加したわけです。