「人に頼る子どもは伸びません」
【三宅義和・イーオン社長】今回は、特定非営利活動法人教育支援協会代表理事の吉田博彦さんにお話を伺います。吉田先生は文部科学省中央教育審議会の専門委員、横浜教育改革会議の委員を委嘱され、また、小学校英語指導者認定協議会(J-SHINE)の専務理事も務めるといったようにエネルギッシュに活躍され、人間ブルドーザーとか、平成の坂本龍馬とも言われます。
大学卒業後の1975年から長く学習塾を運営されていたと聞いていますけれども、それはどのような塾で、どんな教科を教えていたのですか?
【吉田博彦・教育支援協会代表理事】学生時代にアルバイトでやっていた家庭教師の延長でできた塾ですから、形式も塾というより寺子屋で、だから全科目の面倒を見ていました。
最初のころは、近所の子ども2人を自分のアパートの部屋に呼んで、とりあえず机を囲ませて座らせて、こっちは大学のレポートを書いたり、競馬新聞を見ながら「ちゃんとやれ、この野郎って」(笑)。でも、そのほうが自分で勉強するんですよね。その2人が有名中学に合格したわけです。それが近所中で噂になったらしい。「ぜひ」ということで、何人かの子どもを頼まれたのですが、私はやる気がない。そこで、断る方法として考えたのが、難しい問題を解かせて、できないと「お母さんこの子は無理ですよ」と断ろうとしたのですが、「どうにかお願いします。月謝も倍払いますから」と。
【三宅】それもいいですね。来てくださいじゃなくて、まず断るという。
【吉田】当時から私は人に頼る子どもは伸びないと思っていました。最初は小学生対象で、すぐに中学生から高校生も来るようになりました。仕方がないから、近所のアパートの空室を2つほど借りて、私が面倒を見たり、大学の後輩に頼んで指導を任せたりしたわけです。その時、生徒たちに教えたのは「連帯責任方式」。すなわち、中学3年生が中学2年生の学習の責任を持ち、中学2年生が中学1年生の責任を持つ。中学1年生がテストで悪い点数を取ってきたら、中学2年生が叱られる。だって、2年生は前の年に習って、同じ学校の中間・期末テストも経験しているわけです。当時の学校の定期試験は毎年同じような問題が出ていたので、それを1年生に教えればいい。それなのに赤点を取るのは、2年生に責任があるということです。
【三宅】自分だけ成績が上がればいいのではなく、仲間の勉強にも責任を持つ姿勢を育てられたわけですか。
【吉田】結果としてはそうなりましたが、最初はそんなに深く考えていたわけではなくて、部活のような感覚でしたね。最初の1年目、2年目は、まあそんなものでしたね。
【三宅】そうですか。それで塾をどう設立されたのですか。
【吉田】3年目で、私自身が大学を卒業するというときに、就職する気もないし、目の前に月謝を払ってくれる子どもたちがこれだけいるわけですから、「これを仕事にしよう」と考えました。ちょうどその頃、新しいタイプの学習塾ができたという話を聞きまして見に行きました。その学習塾は当時の大学受験予備校のように、大きな教室があって、黒板や机、椅子に生徒が座っていて……。「それ、学校と何が違うのだろう?」と思いました。けれども、多くの生徒を教えるには、教室をつくり、教科別に分けてやったほうが便利だっていうことがわかった。じゃあ、その形式でやろうと横浜でその形式の塾を始めたわけです。その当時としては画期的だったのですね。塾でそんな形でやるところは周りにあまりないわけですから。