高校入試に絞り、生徒も一気に増加

【三宅】昔は学校以外に勉強をしに行くということはほとんどなくて、特別できる子どもには家庭教師をつけたりしていました。

【吉田】そうです。ただ、私が学習塾を始めた頃の神奈川県の教育事情は特殊で、公立高校が極端に少なかったんですよ。クラスの真ん中より上にいないと県立高校に合格できない。当然、その子たち以外は私立に行かざるをえません。すると、授業料が高くなってしまう。だから、塾の月謝を払ってでも公立に行かせたいという親が多かったことは事実です。

そこで考えたのが、私立の学校に行った場合にかかる3年間の学費の半分を塾の月謝でもらおうと。これが親御さんに理解されて、最初は中学3年生しか来なかったのが、そのうち2年生、1年生も来るようになってきたんです。1、2年生については月謝を安くしたのを覚えています。ですから、私たちの塾は県立高校入試のための塾にしました。県立高校入試対応が手っ取り早いのは、対象となる試験問題が一本なんです。

【三宅】一本とは?

三宅義和・イーオン社長

【吉田】私立の学校だとそれぞれの学校で試験問題が違います。しかし、神奈川県の公立高校は一つのテスト問題ですから、その対策さえやれば済むわけです。高校入試専門でやりましたから、生徒も一気に増えました。そうなると大量生産しやすい形になるんです。

【三宅】吉田先生の教室に通われる生徒は、勉強だけじゃなく、生き方や人生まで学んだのでしょうね。その頃から、高校進学率が高まり、詰め込み教育や受験戦争などで、落ちこぼれてしまった子どもたちの校内暴力も社会問題化しました。

【吉田】ちょうど1979年にテレビドラマの「金八先生シリーズ」が始まるんです。おそらく、70年代の荒れた学校という時代背景があのドラマを高視聴率ドラマの人気を支えたのでしょうね。実際、私の塾の生徒も家に帰らないんですよ。夜中の10時、11時まで残って、ぐだぐだと無駄話をしているわけです。彼らにはさすがに説教しましたけどね。

私も、当時の学生の多くがそうであったように、長髪で赤いジーパンをはいて、まるで指名手配犯みたいな顔をしていました(笑)。それで怒鳴るわけですから、けっこう怖かったと思います。でも、親御さんたちがとても支持してくれて、「吉田先生」と呼んで、認めてくれたから良かったんですね。そんな塾では子どもの恋愛話とか、親に対する不満とか、中でもよく私が子どもたちと議論していたのは「何のために勉強するんですか?」といったことでした。

【三宅】子どもたちが、ですか。

【吉田】冗談に聞こえるかもしれませんが、家庭が貧しくて「僕は将来、まともな仕事に就けない」なんて決めつけている子がいたので、彼に「1回お前を競馬に連れて行ってやるからね、勝つ馬を当ててみろ!」と。当たりませんよ。そこで「未来って予想できないんだ」って話したわけです。本当にそんなことばっかりやっていたんですよ(笑)。

【三宅】それは本当に面白い先生ですね。武田鉄矢の金八先生よりずっといい。

【吉田】そのうちに、塾生だった子どもたちが大学に行って、うちの塾の先生になってアルバイトで教え始めたりしました。面白いことに、その連中が大学を卒業して横浜の学校の教員になって、今では校長になったりしているんですからね。